サッカースロベニア代表
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国または地域 | スロベニア |
協会 | スロベニア・サッカー協会 |
愛称 | - |
監督 | ブラネ・オブラク |
最多出場選手 | ズラトコ・ザホヴィッチ(80試合) |
最多得点選手 | ズラトコ・ザホヴィッチ(35得点) |
初の国際試合 | 1991年6月19日対クロアチア 0-1 |
最大差勝利試合 | 1999年2月8日対オマーン 7-0 |
最大差敗戦試合 | 2002年10月12日対フランス 0-5 |
W杯出場回数 | 1回 |
W杯初出場 | 2002 FIFAワールドカップ |
W杯最高成績 | グループリーグ敗退(2002) |
サッカー欧州選手権出場数 | 1回 |
サッカースロベニア代表(Slovenska nogometna reprezentanca)はスロベニアサッカー協会によって編成されるサッカーのナショナルチームである。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 概要
スロベニア代表は1991年にスロベニアのユーゴスラビアからの独立によって誕生した比較的若いナショナルチームである。
初めての試合は1991年6月25日に独立を宣言する直前の6月19日にスロベニアのムルスカ・ソボタで、同時にユーゴスラビアから独立したクロアチアと行った試合である。
[編集] 1998年ワールドカップ予選まで
スロベニアの国土は山がちであり、そのためウインタースポーツ、特にアルペンスキー競技が盛んに行われていた。相対的にサッカーの人気は低く、旧ユーゴスラビア構成諸国家の中でも比較的ユーゴスラビア代表に輩出した人数は少ないものであった。そのためスロベニアは他のナショナルチーム、即ちセルビア・モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニアに比して実力がないであろうと捉える向きが多かった。事実相性の悪さも手伝ってか、1991年にスロベニアナショナルチーム最初の試合が行われて以来、2005年12月に至るまでスロベニアはこれら旧ユーゴスラビア構成諸国家4つの代表に対して1勝も挙げていない。
その中で実質的な初代代表監督を引き受けたズデンコ・ベルデニックの当面の仕事は、ユーロ1996、そして1998年ワールドカップの欧州予選をどう戦うかと言うものであった。既にワールドカップの経験のある、中盤の要たるスレチコ・カタネッツは代表を引退、カタネッツに代わって代わってスロベニアの顔になったのは攻撃的な役割を担うズラトコ・ザホヴィッチであった。
ユーロ予選の滑り出しは、ホームながらイタリアを相手に引き分けと言う、望外の出来であったが、イタリア以外にエストニア、リトアニア、ウクライナ、クロアチアが入ったグループで3勝2分5敗と大きく負け越して予選を終えた。続く98年ワールドカップ予選はギリシャ、デンマーク、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナと同組に入り、1分7敗という成績で最下位となった。
[編集] ユーロ2000
98年のワールドカップ予選を最下位で終えたスロベニアに対しての評価は当然であるが高くはなかった。ユーロ2000の予選に当たってはノーマークであったと言ってもいい。その様な状況の中でベルデニックに代わって監督を引き受けたのが、スレチコ・カタネッツであった。
カタネッツ率いる新しいスロベニア代表は、ギリシャ、ノルウェー、ラトビア、グルジア、アルバニアのグループをユーロ2000の予選を5勝2分3敗、ノルウェーに続く2位でグループリーグを終了、プレーオフに望みを繋いだ。プレーオフはウクライナと対戦。ホームで2-1と勝利し、アウェーで引き分けた事によって本大会進出を決めた。
元来スロベニアはサッカーがそれほど盛んではない国と捉えられており、直前のワールドカップ予選では散々な成績だっただけに、ユーロ本戦出場には多くの人が驚いた。ユーロ本戦では、ユーゴスラビア、スペイン、ノルウェーと同組、スペインに1-2で負けたのみの2分1敗であったが、続く2002年ワールドカップに向けての注目のナショナルチームとなった。
[編集] ワールドカップ2002
2002年のワールドカップ予選は、ロシア、ユーゴスラビア、スイス、ルクセンブルク、フェロー諸島と同組になった。実質的にロシア、ユーゴ、スロベニアの3カ国で、予選突破とプレーオフ進出の椅子を争う内容である。このグループでスロベニアは5勝5分の2位で通過、プレーオフに回った。プレーオフでスロベニアと対戦したのは、ルーマニアで、ユーロ2000のプレーオフと同様ホームでの試合に先勝して、アウェーで引き分けに持ち込むという方法でプレーオフを通過。ワールドカップ本大会への出場資格を獲得した。
スロベニアが、ユーロ2000に続いてワールドカップ本戦出場を決めたことは大きな驚きをもって迎えられた。またワールドカップに新興国スロベニアが出場した事は、スロベニアと言う国の知名度を上げるのに大きく寄与した。
本戦では、スペイン、パラグアイ、南アフリカと同組になり、今度は引き分けも出来ないまま全敗で大会を後にした。スペイン戦後、カタネッツとザホヴィッチの確執により、ザホヴィッチがチームを離れた事も大きな痛手となった。尚この大会でスロベニア代表に選出されたジェリコ・ミリノビッチ(ジェフユナイテッド市原)はホストカントリーである日本、韓国両代表の選手以外で、両国何れかのリーグでプレーする唯一の選手であった。
[編集] ワールドカップの成績
[編集] 欧州選手権の成績
[編集] 選手
[編集] 過去の選手
- ズラトコ・ザホヴィッチ
- アレシュ・チェヒ
- ドニ・ノバク
- マリンコ・ガリッチ
- ムラデン・ルドニャ
- ジェリコ・ミリノビッチ
[編集] 現在の選手
[編集] GK
- サミール・ハンダノビッチ(ウディネーゼ)
[編集] DF
- アレクサンデル・クナフス(レッドブル・ザルツブルク)
[編集] MF
- ミレンコ・アチモビッチ(リールOSC)
[編集] FW
- エルミン・シリャク(REムスクロン)
[編集] 監督
名前 | 期間 | 試合数 | 勝 | 分 | 負 | 備考 |
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ボヤン・プラスニカル | 1991-1993 | 5 | 1 | 2 | 3 | |
ズデンコ・ベルデニック | 1994-1997 | 32 | 10 | 8 | 14 | |
ボヤン・プラスニカル | 1997 | 5 | 1 | 1 | 3 | |
スレチコ・カタネッツ | 1997-2002 | 46 | 18 | 15 | 13 | EURO2000、2002年W杯出場 |
ボヤン・プラスニカル | 2002-2004 | 16 | 6 | 3 | 4 | |
ブラネ・オブラク | 2004- | 11 | 2 | 6 | 3 | |
合計 | 105 | 38 | 35 | 42 |
[編集] 外部リンク
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