コンバウン王朝
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ビルマ人の王朝 |
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コンバウン王朝(Konbaung Dynasty)はミャンマー(以下ビルマと表記)最後の王朝(1752年~1886年)。
第二次タウングー王朝が衰退すると下ビルマのモン族は上ビルマに侵入、モーソーボ(現在のシュエボー)の首長アウンゼーヤがこれを撃退してアラウンパヤーと名乗った。アラウンパヤー王はモン族の本拠地パゴー(ペグー)を下し、東部のシャン地方や西方のマニプールにまで遠征した。第三代シンビューシン王は1766年タイのアユタヤ王朝を下し、雲南南部のタイ族小邦の宗主権をめぐって対立した清軍も撃退した。1782年前王を殺害して即位したボードーパヤー王はアラカン王国を征服し、マニプール王国やアッサム王国を支配下に納め、ビルマ史上最大の版図を実現した。しかし、ビルマの西方への拡大はインドを支配するイギリス当局の利益と衝突し、英緬戦争が勃発した。ビルマは三次にわたる英緬戦争に敗れ、最後のティーボー王はボンベイに幽閉された。1886年にビルマは英領インド帝国に併合された。
[編集] 主要年表
- 1752年 アラウンパヤー王モーソーボで即位、コンバウン朝の成立
- 1753年 ビルマの旧都インワ(アヴァ)を奪回
- 1757年 下ビルマ、モン王国の首都パゴー(ペグー)を占領
- 1758年 シャン地方やマニプールに遠征
- 1759年 タイの首都アユタヤ攻撃、撤退
- 1766年 シンビュシン王、アユタヤを陥落させる
- 1769年 清軍とアヴァ近郊で停戦協定を結び、撤退させる
- 1782年 ボードーパヤー王、マウンマウン王を殺害。アマラプラに新王都建設
- 1795年 アラカン王国を征服
- 1814年 マニプール王国を支配下に入れる
- 1817年 アッサム王国を支配下に入れる
- 1824年 第一次英緬戦争(~26年)
- 1826年 ヤンダボー条約でアラカンとテナセリウム割譲、アッサムとマニプールに対する宗主権喪失
- 1852年 第二次英緬戦争、英軍下ビルマ占領
- 1885年 第三次英緬戦争、王都マンダレー陥落
- 1886年 イギリス、上ビルマを英領インドに併合
[編集] 歴代国王
- アラウンパヤー(在位1752年~60年)
- ナウンドージー(1760年~64年)
- シンビューシン(1763年~76年)
- シングー(1776年~82年)
- マウンマウン(1782年)
- ボードーパヤー(1782年~1819年)
- パジードー(1819年~37年)
- ターヤーワディー(1837年~46年)
- パガン(1846年~53年)
- ミンドン(1853年~78年)
- ティーボー(1878年~1885年)