パガン王朝
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ビルマ人の王朝 |
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パガン王朝はビルマ人最初の王朝である。首都はパガン。この王朝については分かっていない点が多く、国王も55代続いたと言うことが一連の伝統的な年代記には書いてあるが、つじつまが合わないのでこれはおおむね否定されている。現在では年代記の言う「44代目」のアノーヤター(1044年 - 1077年)が最初の王とされる。アノーヤター王は大乗仏教僧と見られる「アリー僧」と呼ばれる僧を排除し、国を上座部仏教本位に変えた。のち1253年にはビルマ北部にあった、南詔王国が元の手に落ちたことにより、その存在が脅かされる始め、1277年のナラーティハパテ王の時代、元はパガンに贈った朝貢を求める使者が行方不明であることを理由に軍を派遣し威嚇攻撃した。その後もナラティーハパテ王が、元に対し従順を見せなかったため、元は1286年にイェースティムール(後の成宗)を送り翌年にナラティーハパテ王は逃亡、パガンは陥落し滅亡した。
[編集] 歴代王君主
- アノーヤター(1044年-1077年)
- ソウルー(1077年 - 1084年)
- チャンシッター(1084年 - 1113年)
- シードゥー(1113年 - 1165年)
- エインドーシン(ナラトゥー)(1165年 - 1170年)
- ナラティンカー(1170年 - 1173年)
- ナラパティシードゥー(1173年 - 1210年)
- ナンダウンミャー(オウサナー、ティーローミンロー)(1210年 - 1234年)
- チャゾワー(1234年 - 1250年)
- オウサナー(1250年 - 1254年)
- タヨウピイェー(ナラティーハパテ)(1254年- 1287年)
- チョウスワー(1287年-1299年)(パガン朝は、タヨウピイェーが元に降伏した1287年をもって事実上滅亡したが、名実共に完全な滅亡を遂げたのは、その息子であるチョウスワーが殺された1299年とも言える説もある)。
[編集] 参考書籍
- 謎の仏教王国パガン/大野徹 ISBN 4140019530