コロンビア (オービタ)
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コロンビア(Columbia、NASA型名 OV-102)は、アメリカ航空宇宙局 (NASA) のスペースシャトル・オービタの2号機である。1号機のエンタープライズは大気圏内専用の実験機であるため、宇宙に到達した最初のスペースシャトルである。
初飛行は1981年4月12日から4月14日にかけて行われた任務STS-1で、その後も計27回の飛行に成功している。
1994年7月8日から7月23日までのSTS-65では、日本人初の女性宇宙飛行士である向井千秋が搭乗した。
2003年1月16日から2月1日にかけて行われた28回目の任務STS-107において、大気圏への再突入の際に機体が分解し、乗組員全員の命も共に失われた。この飛行には初のイスラエル人飛行士イラン・ラモンが参加していた。
[編集] 最後の任務
16日間に及ぶ宇宙での作業を終えたシャトルは、2月1日の朝、大気圏への再突入を開始した。現地時間の午前9時頃、9時16分に予定されていたフロリダのケネディ宇宙センターへの着陸の十数分前、NASAは無線交信を喪失した。ビデオに録画された映像は、テキサスの上空6万3千メートル、毎秒 5.6 kmの速さで機体が炎に包まれ落下して行く様子を映し出した。
この事故は、打ち上げ時に燃料タンクから落下した断熱材によって左主翼前縁の強化カーボンカーボン(RCC)パネルが損傷、大気圏再突入時にそこから侵入した高温のプラズマが主翼構造の脆弱化を招き、さらにはそれによる操縦不能などによって最終的に空中分解に至ったものである。
NASAは打ち上げ翌日の時点でこの異常に気付いていたが、問題はないと判断し、任務を続けさせた。1988年の飛行再開以来、十数年間続いた無事故の間に職員の危機管理意識が低下していたことに多くの人間が失望し、NASAの組織体質が危険を軽視する役人的な“ことなかれ主義”となっていたことが批難の的となった。
大きな事故の常として、コロンビアは落雷との関連があるのではないか(分解前に雷が落ちているようなコラージュが「写真」として公開された)とか、「米軍によってレーザー攻撃を受けていた」などとする陰謀論も生まれた。
この事故以来、スペースシャトルの打ち上げは休止され、建設中の国際宇宙ステーションにも計画の変更を強いてきた。2005年7月26日にディスカバリーが打ち上げられ、飛行計画が再開されたかに思われたが、やはり断熱材の剥離が判明したため、以降の打ち上げは凍結された。
[編集] ミッション
年月日 | 任務 | 備考 |
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1981年4月12日 | STS-1 | 初飛行 |
1981年11月12日 | STS-2 | 再利用性の実証。 |
1982年3月22日 | STS-3 | ホワイトサンズに帰還。 |
1982年6月27日 | STS-4 | 最後のシャトル試験飛行。 |
1982年11月11日 | STS-5 | 初の実用ミッション。4名乗務。 |
1983年11月28日 | STS-9 | 初のスペースラブミッション。6名乗務。 |
1986年1月12日 | STS-61C | ネルソン (D-FL)上院議員 搭乗 人工衛星の軌道投入 |
1989年8月8日 | STS-28 | KH-11偵察衛星 軌道投入 |
1990年1月9日 | STS-32 | 長期暴露試験衛星 回収 |
1990年12月2日 | STS-35 | X線および紫外線望遠鏡による観測 |
1991年6月5日 | STS-40 | 5台目のスペースラブ - Life Sciences-1 |
1992年6月25日 | STS-50 | アメリカ微小重力実験室 1 (USML-1) |
1992年10月22日 | STS-52 | Laser Geodynamic 衛星 II 軌道投入 |
1993年4月26日 | STS-55 | ドイツ版スペースラブ D-2 Microgravity Research |
1993年10月18日 | STS-58 | スペースラブ Life Sciences |
1994年3月4日 | STS-62 | United States Microgravity Payload-2 (USMP-2) |
1994年7月8日 | STS-65 | 国際微小重力実験室 (IML-2) 向井飛行士搭乗。 |
1995年10月10日 | STS-73 | アメリカ微小重力実験室 (USML-2) |
1996年2月22日 | STS-75 | Tethered Satellite System Reflight (TSS-1R) |
1996年6月20日 | STS-78 | Life and Microgravity Spacelab (LMS) |
1996年11月19日 | STS-80 | Wake Shield Facility (WSF) の3回目の打ち上げ |
1997年4月4日 | STS-83 | サイエンス・ミッション。第1次微小重力科学実験室(MSL-1)- 燃料電池の故障によりフライトは切り上げられた。 |
1997年7月1日 | STS-94 | 第一次微小重力科学実験室再飛行計画(MSL-1R)- STS-83の再フライト |
1997年11月19日 | STS-87 | United States Microgravity Payload (USMP-4) 土井飛行士搭乗。 |
1998年4月13日 | STS-90 | サイエンス・ミッション。ニューロラブ |
1999年7月23日 | STS-93 | チャンドラX線観測衛星 軌道投入 |
2002年3月1日 | STS-109 | ハッブル宇宙望遠鏡 サービス・ミッション dobre |
2003年1月16日 | STS-107 | サイエンス・ミッション。スペース・ハブ ダブルモジュール、初飛行。
2003年2月1日の再突入時にオービターは宇宙飛行士7名全員と共に失われた。 |