クイズグランプリ
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クイズ・グランプリは1970年から1980年にかけてフジテレビ系列で放送された帯のクイズ番組。放送は日曜日(後期は土曜日も)を除き毎日15分放送されていた。毎週最終日はチャンピオン大会となっていた。
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[編集] 放送概要
- 放送期間:1970年3月30日~1980年12月26日
- 放送局・日時:フジテレビ系列、毎週月曜日~土曜日19:30~19:45(1975年4月から土曜日廃止)
- 司会:小泉博
- アシスタント:岡まゆみ、清水洋子ほか
[編集] 基本ルール
番組自体はアメリカのテレビ番組「JEOPARDY!」(現在も放送中)を下地にしている。
毎日5~6人程度の回答者が出演してジャンル別(文学・歴史、芸能・音楽、スポーツ、科学、社会、テーマ問題(=上記5項目以外から))の6つの項目を選び、10~50点のカードの中から点数の低い順番に問題を選んでもらう。但し最初の問題だけは司会者の小泉博が無作為で選び、第2問からは原則として正解した回答者が問題を選べる。 問題は全て早押し形式で、正解すればその表示得点が加算されていく。不正解ならばその点数が減点。また、チャンスカードが2枚隠されており、これはそれを引いた回答者だけに回答権がある。回答者は得点の範囲で点数を賭けることが出来る。但し得点が50点以下の場合50点まで賭けられる。正解すれば賭け点が得点として加算、誤答した場合は賭け点分減点。
文学歴史 | 芸能音楽 | スポーツ | 科 学 | 社 会 | テ ー マ |
---|---|---|---|---|---|
10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 |
20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 |
30 | 30 | 30 | 30 | 30 | 30 |
40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 |
50 | 50 | 50 | 50 | 50 | 50 |
なおチャンピオン大会等では、(テーマ問題)が(ノンセクション)というジャンルに変わる。又点数も20点単位となり、20~100点となった。
文学歴史 | 芸能音楽 | スポーツ | 科 学 | 社 会 | ノンセクション |
---|---|---|---|---|---|
20 | 20 | 20 | 20 | 20 | 20 |
40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 |
60 | 60 | 60 | 60 | 60 | 60 |
80 | 80 | 80 | 80 | 80 | 80 |
100 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 |
[編集] 以降のルール変更
当初は月曜から金曜まで予選とし、各曜日のチャンピオンが土曜日のチャンピオン大会に出場、そこでチャンピオンとなった人がヨーロッパ旅行を獲得した。後に同じ回答者が3日間連続でトップ賞になった場合にヨーロッパ旅行獲得となった。しかしプロ野球シーズン中に放送が飛び飛びとなったためルールが幾分複雑化したこともあったともいわれている。
[編集] 番組の終焉とその後の番組枠
番組の視聴率低下と内容の複雑化で、1980年12月26日を持って、番組は終わった。 この時間は、その後に放送されていたスター千一夜との兼ね合いから、後番組も15分番組として製作された。後番組は漫才ブームに乗ってバラエティーの『爆笑おじゃマンザイ!』を製作、しかし繫ぎ番組だったため、その後クイズグランプリの漫才版として『クイズ漫才グランプリ』(司会:明石家さんま)を製作したが、人気がいまひとつで、後に『逆転!クイズジャック』(司会:片岡孝夫、現片岡仁左衛門 (15代目))を製作、この番組もルールが複雑で短命番組となった、この頃から時代の流れに勝てず、方針変更を計画、同時に帯番組の「スター千一夜」の打ち切りで、30分枠となり曜日別の番組編成へ変更となった。
[編集] 備考
- クイズの問題は板に印刷されていた。問題替えは人力(アルバイト学生などが動かしたという)だった。
- アシスタントは、女子大学生によって行なわれた。(1977年、朝日新聞番組欄で紹介)。
- アシスタントの一人に、後に女優として活躍する、岡まゆみもいた。
- 子供大会や高校生大会もあった。(高校生大会では、高校生なら知るべき一般常識が多く出題された。回答者は、一流進学校の生徒が多かったことは後年の同種の番組に似るが、真面目に回答し、優勝しても大喜びなどしなかった。)
- 番組で出された、クイズ問題やエピソードが書かれた本が、1974年にサンケイ出版によって出版化もされている。
- 同番組の放送時期、他局では同時間帯はアニメ・特撮・子供向けドラマなど子供向け番組が多かったが、フジテレビでは(「母と子供のフジテレビ」を標榜していたが)日曜日に集約し(ただし平日も午後7時台前半は子供向け番組)ていた。結果的に競合は他局の歌番組・スポーツ中継・クイズ番組などに限られ、すみわけに成功したといえる。
- NHKの7時のニュースやプロ野球中継などとともに、当時子供だった世代には、親の好む(特に仕事から帰宅した父親が好む)大人向け番組のひとつで、平日午後7時台のアニメなどを見たくとも見られない要因の憎き番組の一つでもあった。その一方では、同番組を積極的に楽しむ子供らもいた。その世代にとっては代表的なクイズ番組の一つである。
- 1970年代も末になると、次第に視聴率・人気などが低迷し(トーク形式のあるクイズの増加などで)た。また末期の展開には、初期以来のファンには「早押しクイズ」と批判されたりもした。
- 往年の人気クイズ番組だったこともあり、とんねるずのみなさんのおかげでしたなどでパロディ化されている。
- 1989年12月31日19:00~22:44に放送されたビートたけしがメインの特別バラエティ番組(タイトル不明)の中で番組の1コーナーとしてクイズグランプリの復刻版が行われている。そのときのコーナー司会は島田紳助と逸見政孝だった。
- 2006年5月28日(日曜日)22:00~22:55にBSフジ「TV☆Lab」枠で、クイズグランプリの復活版「クイズグランプリ2006」が放送された。司会は石原良純と高島彩アナウンサーで、この日はフジテレビ若手アナウンサー陣による大会だった。
[編集] 関連項目
- クイズ漫才グランプリ
- 合格ペアグランプリ
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