ギルバート・ケイス・チェスタートン
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ギルバート・ケイス・チェスタートン(Gilbert Keith Chesterton、1874年5月29日 - 1936年6月14日)はイギリスの作家・推理作家・批評家。ディテクションクラブ初代会長。日本ではチェスタトンと呼ばれることも多い。
1874年ロンドンはケンジントンの不動産業・土地測量業の家に生まれる。1887年にセントポール校に入学すると一年下のE・C・ベントリーと出会い生涯の親友となる。当初は画家を志し、1891年スレイド美術学校(ロンドン大学付属)に入るが挫折して、文学を志すようになる。ボーア戦争勃発に際しては反イギリス側の論客として頭角をあらわし自由主義派の有力な論客としてイギリスの政治・社会を糾弾していった。
1922年にイギリス国教会からカトリックに改宗。後期ヴィクトリア朝時代の物質主義・機械万能主義と自己満足とに対して鋭い批判を加えた。得意の警句と逆説を駆使した彼の文芸批評、文明批評は鋭利である。資本主義・社会主義双方を排撃し配分主義を提唱した。1936年に死去しその葬儀はウェストミンスター大聖堂で行われた。(このときカトリックの聖職者として葬儀を執り行ったのは推理作家として有名なロナルド・ノックスである)
カトリック教会のブラウン神父が遭遇した事件を解明するシリーズが、探偵小説の古典として知られている。江戸川乱歩は「チェスタートンのトリック創案率は探偵小説随一」と賞賛している。エッセイや評論にも名品があり、ディケンズの評伝はT・S・エリオットなどによってこの分野の最高のものとみなされた。並外れた巨体でも有名であった。(ジョン・ディクスン・カーの創造した探偵、ギデオン・フェル博士のモデルとも言われる)
目次 |
[編集] 主な著作
『』内は主な邦題 List of books by G. K. Chestertonも参照
[編集] 評論
- 1905年 『異端者の群れ』(Heretics)
- 1909年 『正統とは何か』(Orthodoxy)
- 1909年『棒大なる針小』(Tremendous Trifles)
- 1923年 『久遠の聖者』(St. Francis of Assisi)
- 1925年 『人間と永遠』(The Everlasting Man)
- 1926年 『正気と狂気の間』(The Outline of Sanity)
- 1929年 『ローマの復活』(The Resurrection of Rome)
[編集] 評伝
- 1906年『チャールズ・ディケンズ』(Charles Dickens)
- 1909年 『ジョージ・バーナード・ショー』(George Bernard Shaw)
- 1910年『ウィリアム・ブレイク ロバート・ブラウニング』(William Blake)
- 1927年 『ロバート・ルイス・スティーブンソン』 (Robert Louis Stevenson)
- 1932年 『チョーサー』(Chaucer)
[編集] 長編小説
- 1904年 『新ナポレオン奇譚』(The Napoleon of Notting Hill)
- 1905年 『木曜の男』(The Man Who Was Thursday)
- 1912年 『マンアライヴ』(Manalive)
[編集] 短編集
- 1905年 『奇商クラブ』(The Club of Queer Trades)
- 1911年 『ブラウン神父の童心』(The Innocence of Father Brown)
- 1914年 『ブラウン神父の知恵』(The Wisdom of Father Brown)
- 1922年 The Man Who Knew Too Much
- 1926年 『ブラウン神父の不信』(The Incredulity of Father Brown)
- 1927年 『ブラウン神父の秘密』(The Secret of Father Brown)
- 1929年 『詩人と狂人たち』(The Poet and The Lunatics)
- 1930年 『4人の申し分なき重罪人』(Four Faultless Felons)
- 1935年 『ブラウン神父の醜聞』(The Scandal of Father Brown)
- 1937年 『ポンド氏の逆説』(The Paradoxes of Mr. Pond)
[編集] 連作長編
- 1931年 『漂う提督』(The Floating Admiral)-プロローグを担当