インセスト・タブー
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インセスト・タブー(Incest Taboo)とは近親相姦のタブーのことを指す。近親相姦の禁忌視はしばしば見られる現象であるが、その原因については一致した見解をみない。
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[編集] 文化的状況
歴史的には中国では唐の十悪があり、近親相姦は悪とされていた。だが、日本の律令制では八虐として除かれていた。日本で近親相姦の禁忌視が本格的に強まったのは江戸時代で、この頃には異性双生児が母体内で同胞相姦があるとして嫌悪されていた[1]。その一方で、戦前の地方では母子相姦などの近親相姦が比較的平然と行われていた[2]。
近代文明(ミシェル・フーコーの「性の歴史」によるとここ3世紀、日本では明治以降)ではセクシュアリティの近代が設定され、それと同時にセクシュアル・ストーリーは言説の煽動が行われたとされる。その後、近親相姦は完全にタブー化したと考えられる。稀ながら現代においても文化的に許容されている場合もあり、シエラ・マドレ山脈に住むインディアンらは父娘相姦し、ジャワのカグラン族では母子相姦は繁栄をもたらすとされ重視される。これらの場合は文化的には許容されているためトラウマにはなりにくい。
[編集] インセスト・タブーの理論
インセスト・タブーの理由としては様々な理由が述べられているが必ずしも一致した見解を見ない。一つの考えとして生物学的に常染色体劣性遺伝の疾患は、他の血族との交配では発現しない可能性が高いが、近親交配の場合は発現する頻度が高くなると言われる事もある。例えば、中世のヨーロッパの貴族は近親相姦を多く行ったが血友病に悩まされていた。しかし、もしこれが正しくとも人口全体においては近親相姦で生まれた子供達の数は遺伝子上の欠陥により自然淘汰されるため減少し、それゆえに近親交配の究極の効果は全体においては減少するためそれほど問題にならない。さらに、インカ帝国においては14代に亘り兄弟姉妹婚が繰り返されたにもかかわらず、健康上問題は起こらなかった。しかも、これを認めた場合は近親相姦で生まれた子供にレッテルを貼る事になるので倫理的問題が非常に強く、たとえ事実であったとしてもこれをそのまま理由にする事は不可能である。
ただ、これを人々が近親相姦を心理的に嫌悪する事が多いということと関連付けた心理学研究も行われている。人類学者は近親相姦が実際に多く起こっているという事実を説明できないとしてこれを拒絶する。しかし、これに関してはまだ研究が不十分であるとはいえ、多くの近親相姦体験者の心理を説明できる可能性があり、これからの研究が待たれるところである。現在のところこの心理的嫌悪はタブーが原因なのか、それとも心理的嫌悪がタブーを作り出しているのか分からない状態である。
また、構造主義四天王の一人クロード・レヴィ=ストロースは社会化説を主張した。この説によれば近親相姦の禁止は族外結婚の奨励なのだという。社会化説によると、非近親婚においては、親戚が婚姻によって増えていくため共同体として危機に陥りづらくなるという要因があるとされる。その一方で、莫大な財産を持つ王族は逆に財産が分割される可能性があるため、それを回避するために王族などは近親婚を繰り返したと言われる。ただし、これは近代的自我の発達及び性の自己決定権を重視する現代社会の考え方をも支持するため、ある程度説得力もある。なぜなら、高度な社会ではなかなか許されないという話があるためである。
[編集] 日本の法律における近親婚
現代の日本では、直系親族または3親等内の傍系血族の間での婚姻届は受理されない(民法第734条および第740条)。従兄弟、従姉妹などとの近親婚は法律上は問題はない。また、近親者同士の合意に基づく性交についての規定はない。
また、近親相姦によって出生した子を非嫡出子として認知することは可能である(この場合、戸籍の「父」「母」欄には、近親者同士が名を連ねることとなる)。あるいは、近親相姦によって出生した子を認知せずに養子とすることも可能である。この場合、戸籍の「父」欄は不明で、実父が養父として記載されることになる。
[編集] 参考文献
- ↑ 『児童虐待』(池田由子、1987)ISBN 4-12-100829-4
- ↑ 『夜這いの民俗学』(赤松 啓介,2004)ISBN 4480088644