アンダーワールド (バンド)
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アンダーワールド (Underworld) | |
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出身地 | イギリス、ロムフォード/カーディフ |
活動期間 | 1986- |
ジャンル | エレクトロニック テクノ ハウス アンビエント ブレイクビーツ |
レーベル | Underworldlive.com Junior Boy's Own V2 |
メンバー | リック・スミス (Rick Smith) カール・ハイド (Karl Hyde) |
旧メンバー | ダレン・エマーソン (Darren Emerson) アルフィー・トマス (Alfie Thomas) ジョン・ワーウィッカー (John Warwicker) バーン・バロウズ (Byrn Burrows) バズ・アレン (Baz Allen) パスカル・コンソーリ (Pascal Consoli) |
アンダーワールド(Underworld)は、イギリスのエレクトロニック・ミュージック・ユニット。リック・スミス(Rick Smith)とカール・ハイド(Karl Hyde)の2人組である。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 第1期 (1986年-1991年)
アンダーワールド以前に、リック・スミス、カール・ハイド、アルフィー・トマス(Alfie Thomas)、バーン・バロウズ(Byrn Burrows)、映像作家のジョン・ワーウィッカー(John Warwicker)をメンバーとするFreurというロックバンドが存在していた。Freurは『Doot Doot』(1983年)というスマッシュ・ヒット・シングルを出すが、その後2枚出したアルバムは売れなかった。
1986年、Freurはバズ・アレン(Baz Allen)を加え、アンダーワールドとしてSireレーベルと契約。1987年、トム・ベイリー(トンプソン・ツインズ)プロデュースによる1stアルバム『Underneath The Radar』をリリース後、バロウズは脱退し、パスカル・コンソーリ(Pascal Consoli)が加入。
1988年、2ndアルバム『Change The Weather』をリリース。翌1989年、ユーリズミックスの解散ツアー(のちに再結成)にサポートとして同行するが、1990年、3rdアルバム制作中にレコード会社との契約が打ち切られ(この幻の3rdアルバム用の曲に、第2期1stアルバムに収録される『m.e.』の原曲『Mother Earth』があった)、長年リックやカールと共に音楽活動を続けてきたアルフィーも脱退し、バンドは解散状態となる。
[編集] 第2期(&第3期) (1992年-)
1992年にDJのダレン・エマーソン(Darren Emerson)が加わり、テクノのユニットとして活動を再開する。この年のグラストンベリー・フェスティバル内Experimental Sound Fieldで行われた18時間にも及ぶライヴは、現在でもカールが度々インタビュー等で話題にすることが多い。プライベート・レーベルのTomato Recordsから500枚限定のシングル、『Mother Earth/The Hump』をリリース。当初はSteppin' Razor、Lemon Interruptなど、アンダーワールド以外の名義で特にクラブ色の強い作品をリリースしていたが、まもなくアンダーワールド名義に統合される。
Junior Boy's Ownレーベルと契約し、1993年に(公式な)1stシングル『Mmm... Skyscraper, I Love You』をリリース後、クラブ・アンセムとなる『Rez』(初回は限定1000枚のピンクレーベルレコードだった)をリリース。一気にテクノシーンの中心アーティストとなる。
その後1stアルバム『dubnobasswithmyheadman』や多数のシングルのリリース、ライヴ・ツアー(初来日公演であった、1994年の新宿リキッドルームこけら落とし公演を含む)を経て、1995年のシングル『Born Slippy』のB面(カップリング曲)に収録された『Born Slippy Nuxx』が、1996年公開の映画、『トレインスポッティング』のラストシーンに使われ、メジャーシーンでもその名前が知られるようになる。
なお、『Born Slippy Nuxx』はA面曲に昇格し、もともとA面でタイトル・トラックだった『Born Slippy』が収録されない形で、シングルで再リリースされた(レコード/CD自体のタイトルは『Born Slippy』のまま)。
『Born Slippy Nuxx』のヒット直後、2ndアルバム『second toughest in the infants』をリリース(『Born Slippy Nuxx』はボーナスCDを除いて収録されず)。1996年8月10日に日本ランドHOWゆうえんちで開催された、RAINBOW2000でのライヴ・パフォーマンスは、メンバー、オーディエンス双方からの評判が高い。
ライヴ・ツアーを終えたアンダーワールドは、約1年半の間スタジオにこもる。途中、1997年、シングル『Moaner』のリリースを経て、1998年、ライヴ・ツアーを再開し、制作中の新曲を多数披露する。1999年にはその新曲が収録された3rdアルバム『Beaucoup Fish』をリリースし、名実共にテクノ界のトップへと上り詰めた。
99年冬から翌2000年にかけて、FUJI ROCK FESTIVAL '99で収録されたライヴ映像を使用したDVD『EVERYTHING, EVERYTHING』を制作中、ダレン・エマーソンが脱退。脱退発表時に既に予定されていた複数のフェスティバル・アクトには、リックとカールの2人で出演した。『EVERYTHING, EVERYTHING』発売と同時に、公式サイトunderworldlive.comを開設し、ライヴ音源、未発表曲、日記等の配信を開始。
同年11月には、アンダーワールドの来日公演プランから発展したエレクトロニック・ミュージック・フェスティバル、electraglideを開催した。
2002年に、『Rez』、『Born Slippy Nuxx』に続く新たなアンセム・トラックとなった、『Two Months Off』を収録した4thアルバム、『A Hundred Days Off』をリリース。同年から2003年にかけて、FUJI ROCK FESTIVAL '03への出演を含む大規模なライヴ・ツアーも行われ、ツアー後にはアンソロジー盤『1992 - 2002』、シングル『born slippy nuxx 2003』をリリースし、11月、electraglide2003にてスペシャル・ライヴを行った。
2003年12月にBBC Radio 1の伝説的DJ、ジョン・ピールの番組でライヴを行って以降、メンバーは再びスタジオワークに移るが、公式ファンサイトdirty.orgのネットラジオdirtyradioを通じて、アンダーワールドの制作中/未発表曲やおすすめの曲をかける生放送のショーを不定期にするようになる。後に、アンダーワールドはどのレーベルとも契約していない(再契約のサインをしなかった)状態であることが判明する。
2005年夏から、以前からアンダーワールド・オフィシャルDJとしてアンダーワールドと活動を共にしてきたダレン・プライス(Darren Price)をサポートに迎え、ライヴ・ツアーが再開された。BBC Radio 1で放送された、Exit Festival 2005での新曲3曲『Lenny Penne』、『Small Conker And A Twix』、『You Do Scribble』のライヴ音源は世界中のファンから大絶賛を浴びた。
公式サイトunderworldlive.comを大幅にリニューアルし、The Riverrun Projectとして、新作のMP3/アートワーク販売や、過去に配信していたものも含む、ライヴ音源/映像の大量無料配信を開始した。MP3販売第1弾として『lovely broken thing』、iTunes Store(当時はiTunes Music Store)限定EP『JAL to Tokyo』をリリース後、electraglide2005に出演し、その幕張メッセ公演を収めた3枚組CD『Live in TOKYO 25th November 2005』をelectraglide2005来場者限定で販売した。その後12月に第2弾『pizza for eggs』、2006年6月に第3弾『i'm a big sister, and i'm a girl, and i'm a princess, and this is my horse』と新作パッケージをThe Riverrun Projectで発表し、最初の3作を全て購入した場合は無料で『the misterons mix』というその3作からピックアップした音源+αで構成されたmix音源を配信した。8月には、The Riverrun Projectからのシングル5作の12インチ・アナログ盤を、Underworldlive.comレーベルからのリリースとしては、初の実店舗を通した形で発売した。
なお、The Riverrun Projectで販売しているMP3は、いずれも複数の曲を30分弱のmixにまとめあげたものだが、この選曲はJunior Boy's Ownレーベル社長のスティーヴ・ホールによるものである。
2006年10月18日に、映画音楽家ガブリエル・ヤレド(Gabriel Yared)と制作した、映画『BREAKING and ENTERING』(アンソニー・ミンゲラ監督、ジュード・ロウ主演)のサウンドトラックをリリースした。このサントラCDがアンダーワールドが契約していたレコード会社と同じV2であり同社が映画のサントラを出すことが珍しいため、再契約しなかったV2でまた契約した可能性が出てきた。
アンダーワールドはデザインの活動もしており、デザイン会社TOMATOの設立メンバーでもある。TOMATOのメンバーにはFreur、第1期アンダーワールドにも在籍していたジョン・ワーウィッカーや、アンダーワールドの楽曲中のヴォイスサンプルでよく活躍している女性、ファニータ(Juanita)がいる。日本ではソニーのコーポレートアイデンティティやtv asahi(テレビ朝日)のロゴ制作が特に有名で、tv asahiのオープニング(『born slippy nuxx 2003』)・クロージング(『Rez』)にはアンダーワールドの曲が使われている。
[編集] 今後の活動
現在、アンダーワールドは、映画『SUNSHINE』(監督は『トレインスポッティング』と同じダニー・ボイル。出演はキリアン・マーフィ、真田広之)のサウンドトラックを既に完成させているほか、2007年リリース予定の5thアルバム(The Riverrun Projectでのリリースではない)を制作中である。
また、サウンドトラック『BREAKING and ENTERING』の制作中にリック、カール、ガブリエル・ヤレドの3人で結成したバンド、「ヤレドワールド(Yaredworld)」としてのサウンドトラック以外の音楽作品の制作や、アンダーワールドとブライアン・イーノのコラボレーションも予定されている(詳細は不明だが、ビルボード誌によれば、イーノはアンダーワールドの新曲ストック約150曲を既に聴き終えているという)。
ネット上の活動においては、まもなくunderworldlive.comをversion 2にバージョンアップするとのアナウンスをしており、サイトでは、アナログ盤で先行リリースされたリミックス・トラックやオリジナル作品の配信などをする予定である。
[編集] ディスコグラフィー
アルバム (CDフォーマット)
- Underneath The Radar (1987年)
- Change The Weather (1988年)
- dubnobasswithmyheadman (第2期1stアルバム、1993年)
- second toughest in the infants (1996年)
- Beaucoup Fish (1999年)
- EVERYTHING, EVERYTHING (ライヴ編集盤、2000年)
- A Hundred Days Off (2002年)
- 1992 - 2002 (2枚組アンソロジー盤、2003年)
- Live in TOKYO 25th November 2005 (3枚組ライヴ生録音盤、electraglide2005来場者限定、2005年)
- BREAKING and ENTERING (映画のサウンドトラック盤、UNDERWORLD AND GABRIEL YARED名義、2006年)
- SUNSHINE (映画のサウンドトラック盤、2007年予定)
- タイトル未定 (5thオリジナル・アルバム、2007年予定)
The Riverrun Project (underworldlive.comでのMP3+アートワーク+写真の有料パッケージ配信)
- lovely broken thing (2005年)
- pizza for eggs (2005年)
- i'm a big sister, and i'm a girl, and i'm a princess, and this is my horse (2006年)
- the misterons mix (上記3作を全て購入した人への無料ボーナス・パッケージ、2006年)