もの派
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「もの派」は、1960年代末に始まり、1970年代中期まで続いた日本の現代美術の大きな動向である。石、木、紙、綿、鉄板、パラフィンといった〈もの〉を単体で、あるいは組み合わせて作品とする。それまでの日本の前衛美術の主流だった反芸術的傾向に反撥し、ものへの還元から芸術の再創造を目指した。「もの派」の命名者は不明。1968年に関根伸夫が『位相—大地』を発表し、李禹煥がそれを新たな視点で評価し、理論づけたことから始まる。このふたりが始めた研究会に、関根の後輩である吉田克朗、本田眞吾、成田克彦、小清水漸、菅木志雄(いずれも多摩美術大学の齋藤義重(斎藤義重)教室の生徒)が参加し、つぎつぎに作品を発表したことで注目された。かれらは「李+多摩美系」と呼ばれる。ほかに「芸大系」の榎倉康二・高山登、「日芸系」の原口典之が注目すべき活動をしている。
『美術手帖』1970年2月号が「発言する新人たち」という特集を組み、座談会に「李+多摩美系」が顔を揃えた(ただし本田眞吾は欠席)。これが事実上の「もの派宣言」といえる。しかしかれらは自主企画展を行うことなく、1970年夏ごろからそれぞれの作風に分散していった。
1970年代、「もの派」を論じることが比較的多かったのは峯村敏明(美術評論家)であり、後続世代の立場から「もの派」を激しく批判し、結果として歴史化に寄与したのが彦坂尚嘉(美術家)といえる。
欧米のミニマル・アート、アルテ・ポーヴェラとの類似を指摘されることが多い。
[編集] 参考文献
- 峯村敏明 『彫刻の呼び声』 水声社、2005年。ISBN 4891765704
- 椹木野衣 『日本・現代・美術』 新潮社、1998年。ISBN 4104214019
- 千葉成夫 『現代美術逸脱史』 晶文社、1986年。ISBN 4794937628
- 李禹煥 『出会いを求めて—現代美術の始源』 美術出版社、2000年。ISBN 4568201632
- 彦坂尚嘉 『反覆/新興芸術の位相』 田畑書店、1974年。