さくまあきら
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さくま あきら(さくま あきら、1952年7月29日 - )は東京都杉並区出身の作家でありゲームライター。本名は佐久間晃。
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[編集] 人物
東京都立武蔵丘高等学校、立教大学経済学部、劇画村塾出身。自身が中学生のときから深い影響を受けたという作曲家のすぎやまこういちにあやかって、ペンネームを平仮名にする。ジャンプ放送局の構成や桃太郎伝説、桃太郎電鉄シリーズの生みの親として有名。堀井雄二とは学生時代からの友人である。1987年10月26日には、自身が初めて手がけたファミコン用ゲームソフト「桃太郎伝説」が発売。その後、ゲーム開発や連載などで多忙を極め、1995年12月に脳内出血で倒れ、翌月にはジャンプ放送局が終了。無事復帰を果し、身体を気遣いながらも数々の名作を世に送り出し続けている。
既婚者で妻と義理の娘が一人いる。横浜ベイスターズの大ファン。
[編集] 関わった作品
特に記載のないものはディレクション担当
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- 忍者らホイ!
- ぐーちょDEパーク テーマパークものがたり
- さくま式人生ゲーム
- 怪物パラ☆ダイス
- ゲンジ通信あげだま - 原作者の一人
- 鳥山明のヘタッピマンガ研究所
[編集] 関連人物
- さくまのホームページの日記に時々登場する「木村くん」と「ロッシー」とは彼らのことを指す。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] 略歴
- 3歳の時に母親を亡くした為、実の母の顔を全く覚えていない。その後父親の再婚で継母と暮らすようになるも、継母のせいで家出を繰り返す、高校時代に店屋物ばっかり食べさせられ太ってしまう、よく自分や姉に対し嫌味な発言をする、など子供の頃は散々な目に会ったらしく、成人した時には親戚に「よく不良にならなかった」と泣きながらに言われたという。
- 幼少の頃は漫画を描いていたことで漢字を覚え優等生と呼ばれていた。しかし、バンドや漫画にはまったことから成績が下降し高校時代には数学で0点を記録し物理部の部員でありながら物理で赤点を取り話題になった。それでも成績の良いクラスメートの勉強法を真似して持ちなおし、一浪の末立教大学に進学。
- 大学卒業後、ライターとなった後に堀井雄二らとともに「花伝社」を設立し新人漫画家を育成する雑誌『マンガハウス』を発行する。しかし、当時の新人漫画家のデビュールートから外れていたため(当時は現在と違い週刊少年ジャンプ、週刊少年サンデー、週刊少年マガジンからデビューする者がほとんどであった)億単位の赤字を出し2年で終了した。それからさらに数年後に同様のコンセプトで『チョコバナナ』と言う雑誌を製作するも、不況のあおりを受け16号で停滞となった。
- その後、堀井雄二がドラゴンクエストで大成功したあおりで「友人だから」と言う理由でゲーム製作の話が持ち込まれる。当時、身内のスタッフに「蟹を食べよう」と言って釣るため札幌に本社のあるハドソンを製作元に選び、売れなかったら『ジャンプ放送局』でギャグにするつもりだったらしいが、思いがけず売れた為、桃太郎作品がシリーズ化されることとなる。
- 1995年、病院で血圧を測ったとき数値が200を越え看護師に驚愕される。その数ヵ月後トイレで突如倒れ脳内出血と診断される。当時は年にゲームを4本も製作していた他『ジャンプ放送局』など多忙であったため休む暇もなかった。
[編集] 逸話
- 小学生の時、原因不明の病気にかかる。プールに通いつめていたのが原因としてプール熱と命名された。
- 幼少の頃からファンだった大洋ホエールズに憧れ野球選手を目指すが体が小さかったため諦める。その後、貿易商を目指すも航空機が苦手なことから断念し、編集者の道を歩もうとしたが当時行われた色覚検査で落ちたため、ライターとなった。関与していた月刊OUTには、彼の大洋びいきを揶揄して「大洋の投手は濃紺(ノーコン、注:当時横浜大洋のシンボルカラーは濃紺であった)」等といった、読者によるいじりネタがしばしば散見された。
- 『マンガハウス』を創刊したきっかけは、手塚治虫が新人漫画化発掘のため発行していた雑誌『COM』が廃刊された時、同様のコンセプトの雑誌を創る事を決意した為。ちなみに、さくまは編集部まで最新号を買いに行くほど愛読していた。
- 世良公則に顔芸「新幹線」を伝授したとのこと。
- ホンダ・ストリーム(三輪スクーター)に乗っていたことがある。月刊OUTさくま学園「習字のお時間」でホンダ・ストリームを捩った作品が投稿された際のコメントは、「包丁の光が呼んでいる」であった由。また、以前は日産・スカイラインに乗って、首都高を走っていたこともある。
- 自身がライターとして務めていた雑誌は必ず売り上げが伸びるジンクスがあった。当時は受け持つ雑誌がことごとく売り上げが伸びるがやめると突如売り上げが下がるため『船のネズミ』と呼ばれており、ついには引き抜かれるほどの存在となる。10年以上在籍した少年ジャンプの売り上げは年々伸び続け600万部を越すが、入院しライター業から離れるようになった1996年頃から落ち着いた。
- 鳥山明の代表作、「Dr.スランプ」に出ている「たこ焼きマクサ」のモデル。当時の週刊少年ジャンプの編集者や関係者をモデルにしていたキャラの一人。
- 上記の通り、航空機が苦手。札幌にあるハドソンの本社にも鉄道で通っている。
- 2004年10月23日、取材で新潟に行った帰り、妻とともに長岡駅で新潟県中越地震に遭う。