高啓
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高啓(こう・けい、1336年-1374年)は中国・明代初期の詩人。字は季廸、号は青邱。「呉中四傑」の一人。
[編集] 略伝
江蘇州蘇州の出身。幼少より神童とうたわれ、王行・徐賁ら北郭十友と交わって早熟の詩才を誇った。張士誠の乱を避けて隠れていたが、1369年に招かれて太祖に仕え『元史』の編纂に加わった。1370年に翰林院編修になり、戸部侍郎に抜擢されたがすぐに辞し、蘇州郊外の青邱に戻り在野の詩人として活躍した。しかしその詩に太祖を諷刺したものがあり、また友人で蘇州知事でもあった魏観のために書いた文章が禍して腰斬の刑に処せられた。
[編集] 詩
明の詩人では最も才能に恵まれ、この世のあらゆる対象を約2000首の詩に表した。詩の意味は平明、表現は淡泊であるが、夭折のため独自の風格を示していない。我が国では江戸時代・明治時代を通じて愛唱された。著に『高太子大全集』18巻、『高太子鳧藻集』5巻、『扣舷集』1巻がある。
題雲林小景 | |
帰人渡水少 | 帰人 渡水少し |
空林掩煙舎 | 空林 煙舎を掩う |
獨立望秋山 | 獨り立ち 秋山を望めば |
鐘鳴夕陽下 | 鐘鳴りて夕日は下る |
逢呉秀才復送帰江上 | |
江上停舟問客縦 | 江上舟を停めて客縦を問う |
乱前相別乱余逢 | 乱前に相別れて乱余に逢う |
暫時握手還分手 | 暫時 手を握り還た手を分かつ |
暮雨南陵水寺鐘 | 暮雨の南陵 水寺の鐘 |