陸奥部屋
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元井筒部屋の幕内星甲昌男は、井筒部屋を継承していたが、1974年(昭和49年)に名跡を返上し陸奥にもどり、全力士を連れて創設した。定年を迎えると弟子の星岩涛祐二が引退して継承した。7年近く運営したが新たな幕内力士は育たなかった。その後井筒部屋の元大関霧島一博が継いで現在に至る。2000年(平成12年)9月21日には立田川部屋を吸収合併した。
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[編集] 陸奥親方
[編集] 現役の幕内経験力 士
[編集] 幕内
- 平幕
- 敷島勝盛(千葉)立田川部屋より移籍
- 十文字友和(青森)立田川部屋より移籍
- 豊桜保勝(広島) 立田川部屋より移籍
- 星岩涛祐二(鹿児島)井筒時代に入門
- 琉鵬正吉(沖縄)立田川部屋より移籍
[編集] 十両
[編集] 所属年寄
[編集] 外部リンク
[編集] 立田川部屋
1968年12月に元横綱・双葉山の時津風親方が急逝。元横綱・鏡里の13代・立田川親方が時津風部屋を襲名した。しかし直後に、後継者に引退したばかりの錦島親方(元大関・豊山)を指名していたとの遺言の存在が明らかになり、鏡里は立田川に戻り、1971年に立田山(元大関大内山)などの親方だけを連れ弟子を1人も連れずに独立し立田川部屋を興した。しかし、なかなか関取が育たず、13代が在職中には十両・高道しか関取が誕生しなかった。
1988年3月に立田川親方が停年を迎えたため、二十山親方(元関脇・青ノ里)が立田川部屋を継承。先代からの弟子であった福ノ里(現・若者頭)や、直弟子の敷島、十文字、豊桜が関取に昇進した。しかし、2000年11月場所中に14代・立田川親方が停年を迎えることとなったため、2000年9月場所を最後に部屋を閉め、陸奥部屋と吸収合併した。年寄・立田川は14代の直弟子であった元前頭・敷島が短期間襲名した後、現在は元前頭・湊富士(湊部屋所属)が襲名している。
[編集] 旧陸奥部屋
明治時代からの伊勢ノ海系統の陸奥部屋からは、昭和になって関脇大潮清治郎が出た。大潮は昭和12年から二枚鑑札で部屋を継承し、若潮芳雄を幕内まで昇進させたがあとが続かず、1960年で部屋を閉じ、親方は時津風部屋の所属になった。その縁で、陸奥の名跡は時津風一門に属するようになった。
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