阿闍世コンプレックス
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阿闍世コンプレックス(あじゃせこんぷれっくす)は古澤平作が創唱し、小此木啓吾が広く流布させた精神分析の概念である。阿闍世とは、サンスクリット語で「アジャ・サートル」といい、未生怨すなわち出生以前に母親に抱く怨みの事を意味する。阿闍生コンプレックス、アジャセコンプレックスとも表記する。
[編集] 概論
母親は子供の出生に対して恐怖を持ち、子供はそれに対する怨みを持つとされ、その力はエディプスコンプレックスをしのぐとされる。フロイトのエディプスコンプレックスは父親と子供の間の葛藤を中心とし父性的傾向をもつが、阿闍世コンプレックスは母性的傾向を持つ。小此木は古川の母親と子の間における葛藤が人格形成上現れるという阿闍世コンプレックス理論を発展させ、理想化された母への一体感から、母によるその裏切りという段階を経て、怨みを超えた母子の許しの通じ合いに至るという3つの心理段階を通過するのであるとした。
古澤によるアジャータシャトル(阿闍世)の物語は、子供が無く年老いた王妃である韋提希(いだいけ)夫人が「裏山の仙人が3年後に死んで、夫人にみごもり王子となる」という予言者の言葉を受け、3年を待ちきれずに仙人を殺して生ませたと言うところに端を発する。仙人は死ぬ間際に呪ってやると言い残したため、夫人は怖くなり堕ろそうともするが結局王子を産む。そうして生まれた阿闍世は、その呪われた運命を知り、父母を幽閉し父である王を死に至らしめるが、その罪悪感から流注(るちゆう)という病気になり、最後には釈尊の教えに触れて懺悔し救いを得るという物語である。だが、仙人殺害の話は「教行信証」所引の「涅槃経」にも「観無量寿経」にも見られず、実は古澤の創作であると小此木は指摘した。しかし、小此木のいう古澤による阿闍世説話創作説は、正確ではない。近年の研究により、古澤の阿闍世理解は、浄土真宗の説教師、近角常観に大きく依存していることが明らかにされた。
母親のナルシスティックなエゴイズムが描かれており、自分とは直接的には関係ないところで母親から怨まれていると感じているのが特徴的である。また、罪意識が最終的には許される事を通じて与えられるものであるとされている事にも着目しなければならないであろう。