金載圭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金載圭 | |
---|---|
{{{picture-type}}} | |
{{{caption}}} | |
各種表記 | |
ハングル: | 김재규 |
漢字: | 金載圭 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
{{{hiragana}}} |
片仮名: (現地語読み仮名): |
キム・ジェギュ |
ラテン文字転写: | Gim Jaegyu |
{{{alphabet-type}}}: | {{{alphabet}}} |
金載圭(キム・ジェギュ、1926年3月6日 - 1980年5月24日)は韓国中央情報部部長。朴正煕の腹心の一人であったが、1979年10月26日、酒席の場で朴正煕と車智澈警護室長を射殺した(朴正煕暗殺事件)。
殺害の理由は明らかになっていないが、当時釜山と馬山で起こっていた民主化抗争への対応において、朴正煕のもう一人の腹心であった車智澈の強硬策が採用され、金載圭の立場が脅威に晒されていたためとされる。
1980年、死刑判決を受け同年5月24日に執行された。
2004年、民主化補償審議委員会によって金載圭による朴正煕暗殺が民主化に寄与したか否かが議題として上ったが、全斗煥によるクーデター、並びに後の独裁を招いたとの指摘もあり、最終的な結論に至っていない。