遠藤慶利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠藤 慶利(えんどう よしとし、1609年5月11日(慶長14年4月8日)-1646年8月9日(正保3年6月28日))は、美濃八幡藩の第2代藩主。父は三木直綱。母は遠藤慶隆の娘・清洲。正室は板倉重宗の娘。官位は従五位下。伊勢守。但馬守。
外祖父の遠藤慶隆には息子に遠藤慶勝がいたが、この慶勝が大坂冬の陣で発病して翌年に京都で病死した。慶隆には他に男児が無かったため、外孫に当たる慶利を養嗣子として迎えたのである。寛永9年(1632年)6月28日、慶隆の死去により家督を継ぐ。正保3年(1646年)6月28日、38歳で死去し、後を子の遠藤常友が継いだ。