蒋済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蒋済(しょうさい、?-250年)は、魏の武将。字は子通。蒋秀の父、蒋凱の祖父。
[編集] 略要
楊州の楚国平阿県の人。曹操の丞相主簿となった。やがて丹陽郡太守を経て、楊州刺史の温恢の補佐役となった。215年、曹操が合肥で孫権と戦って危機に陥った時、偽情報を孫権軍に流して曹操軍の危機を救った。曹操が関羽の猛攻を恐れて遷都しようとした時は、司馬懿と共に反対した。その後も曹丕、曹叡に仕え、常に参謀的な役割を果たしている。その功績により、太尉となった。
249年、司馬懿が曹爽に対してクーデターを起こした時、司馬懿に協力している。蒋済は同世代の司馬懿と親友の仲にあり、正史にも彼と司馬懿の会話が記載されているものが少なくない。人物眼にも優れ、鍾会の優れた才能を逸早く見抜いている。文学面にも優れ、『万機論』・『三州論』などの著作を多数残している。
ただ、蒋済は文武面に優れた「硬骨漢」と呼ばれながらも、大の酒好きで、酒に酔っては乱暴したり、面会を求めた者を体よく追い返すなどの一面があったため、人から恨まれ、人望は乏しかったという。
曹爽が司馬懿に殺されると、蒋済は曹爽に「殺されることはない」と投降を促していたことから、曹爽を裏切ってしまったことを気に病み、間もなく死去したという。諡号は景侯。