石川雲蝶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石川 雲蝶(いしかわ うんちょう、1814年(文化11年)- 1883年(明治16年))は幕末期の彫物師。
1814年(文化11年)江戸の雑司ヶ谷で生まれた。本名は安兵衛。若くして江戸彫石川流の彫物師として名を挙げ、苗字帯刀を許された。
32歳の時越後国永林寺(現魚沼市)の22世円応弁成和尚の招きで越後国に入る。やがて当時から鑿(のみ)などの金物の町として知られた三条へ婿養子に入り、酒井姓となった。
越後国では、永林寺の欄間などの彫刻群や「越後の日光」と言われる西福寺開山堂(現魚沼市)、秋葉神社奥の院(現長岡市)など、多くの彫刻を各地に残した。後に三条に戻り、1883年(明治16年)70歳で死去した。
石川雲蝶は大層な酒好きで、興が乗らなければ鑿を握らなかったと言われるが、その彫刻の多くは色鮮やかで彫りが深く、何層にも彫り重ねられた精巧さと大胆な構図が特徴である。