民家
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民家(みんか)とは、一般の庶民が暮らす住まいのこと。支配階級、上層階級の住まいに対比して用いられる言葉。
- 日本建築史や民俗学では、主に江戸時代の農家、町屋の類を民家という。明治時代以降に建立された住宅で、伝統的様式・技法を用いたものもこれに含まれる。また、中・下層の武士の住まいも農家と同様の技法が用いられているものは民家に含める。(本項で記述)
- 現代日本語では、団地、マンションなどの集合住宅に対して、一戸建ての比較的小規模な住宅を指して「民家」と呼ぶことがある。特に報道文などで「土砂崩れで民家が押し流され」などと使う。
民家(みんか)とは、一般の庶民が暮らす住まいのことだが、特に建築史や民俗学で、伝統的な様式で造られた農家、町屋の類を指す(年代の古いものは古民家とも)。民家には建設された当時の生活状況が反映されており、生業(農業、商業など)や伝統行事と結び付いた要素が多く見られる。民家を見る際には、生業や生活との関連から見ていくと、古人の暮らしに根付いた知恵に気付かされることが多い。また、民家には地域差があり、それぞれの地方ごとの特色が表れる。近年では、対象となる年代も広がり、日本では明治・大正・昭和戦前期の建物まで、調査研究が行われることがある。
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[編集] 日本の民家の発達
現在日本に残る最も古い民家と考えられるのは、いずれも兵庫県に所在する箱木家と古井家で、既に江戸時代から「千年家」(せんねんや、千年前の家)と呼ばれていた。実際はさすがに千年は経っていないが、建立は室町時代にさかのぼるものと考えられている。いずれも国指定重要文化財。
江戸時代初期の民家は近畿地方を中心に多数残っている。中でも、第二次大戦以前に民家として初めて(旧)国宝に指定された次の2件の民家が知られている。(1950年の文化財保護法施行後はいずれも重要文化財)。
- 吉村家住宅(大阪府羽曳野市)1937年重要文化財(旧国宝)指定 [2]
- 小川家住宅(二条陣屋)(京都府京都市)1944年重要文化財(旧国宝)指定
一般に関西方面が民家の先進地域であり、技術的、意匠的にも優れたものが多い。関東では韮山代官、江川太郎左衛門の屋敷として有名な次のものがある(重要文化財)。一部は中世の部材も使われているという。
ごく古い民家では、柱をかんなで仕上げず、ちょうなで削ったままのものも見られる。また、古いものほど概して軒高が低く、壁や柱が多く閉鎖的な印象を受けるものが多い。
[編集] 日本の典型的な民家
[編集] 農家
土間があり、田の字型の間取りとしたものが典型的なものである。土間には煮炊きをするかまどがあり、馬屋もよく見られる。いろりの周りで家長を中心に食事を取る。時代が下がると接客用の部屋も造られ、冠婚葬祭で人が多く集まる際は、戸やふすまを開け放して部屋を広く使えるように工夫された。土間で縄をなったり、縁側で機織をしたり、屋根裏で蚕を飼うなど、住居と生業の結びつきが強い。茅葺や杉皮、瓦など屋根材も地域によって特徴が見られる。
[編集] 町屋
間口が狭く、奥行きがあり、裏まで通り抜けの通路が設けられることが多い。間口が狭いのは、間口の大きさに応じて税金をかけていた名残だといい、道路に面して短冊形に敷地を取るタイプが各地に見られる。道路に面した表側は店になっており、裏の方に住まいや蔵などを設けた。通風・採光のため、坪庭が設けられることもある。。
[編集] 民家園
第二次世界大戦後、特に高度成長期以降は、日本人の生活スタイルも大きく変化している。伝統的な生活文化を後世に残すため、民家を移築復元した民家園などが各地に作られている。古い民家を保存、公開することで、歴史を学ぶ史料としている。単に建物を公開するだけでなく、当時の民具を展示したり、いろりに火をくべたり、伝統行事を再現するなど、より生活感を表し、来場者が身近に感じられるよう工夫をこらしているところも多くなってきた。
[編集] 主な民家園
[編集] 関連項目
- en:Minka(日本の民家)
- 日本の民家の画像一覧
- 日本の住宅
- 四国村(四国民家博物館)
- 民家の甲子園