松平武揚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 武揚(まつだいら たけおき、文政10年6月14日(1827年7月7日) - 天保13年7月28日(1842年9月2日))は、石見浜田藩の第2代藩主。父は讃岐高松藩主・松平頼恕(武揚は三男)。母は野宣勝成の娘。正室は松平斉厚の娘。官位は従四位下、右近将監。
1827年6月14日、高松で生まれる。幼名は鋭之助。先代藩主の斉厚が1839年に死去したため、その婿養子として後を継ぐ。1840年12月に叙任するが、1842年7月28日、浜田で死去した。享年16。嗣子は無く、後を養嗣子の松平武成が継いだ。法号:詣山大乗院。墓所:浜田市殿町の妙智寺。