李文忠
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李文忠(り ぶんちゅう、1339年 - 1384年)は、明の将軍。字は思本。江蘇省鳳陽・盱貽の人。
朱元璋の甥にあたる。若い頃から朱元璋に従って起義軍に参加し武勲を立て、武勲は徐達・常遇春に並ぶと称され、常遇春が亡くなると将軍に任じられた。枢密院僉事となり後に曹国公に封じられ蜀を平定し、成都新城を築いた。徐達・常遇春・鄧愈・沐英・湯和らとともに六王の一人にも数えられていた。しかし、朱元璋を諌めたことで不興を買い、後に急死したため、毒殺説が定説になっている。死後に岐陽王に封ぜられる。
[編集] 墓所
李文忠墓は南京の紫金山の北西に位置しており近くには徐達墓がある。清光緒年間には陵墓の神道が修復されている。
[編集] 入場料
- 5元(2004年現在)