本因坊秀伯
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本因坊 秀伯(ほんいんぼう しゅうはく、宝永7年(1716年) - 寛保元年2月11日(1741年3月27日))は江戸時代の囲碁棋士。六段。
この頃の本因坊家は知伯、秀伯と2世続いて六段(ちなみに、次の伯元も六段)という不振な時代であった。そのため元文2年(1737年)に「碁将棋名順訴訟事件」が起きている。これは当時の将棋名人伊藤宗看が、碁打ち優先の慣行を廃止して平等にせよという要求を提訴したことによって始まったものである。宗看は寺社奉行井上正之の支持も得ておりこの要求は通ると思われた。しかし正之は急逝し、後任の大岡忠相によって訴えは棄却され、この事件は終結を迎えた。