新教育運動
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新教育運動(しんきょういくうんどう)は、19世紀末から第一次世界大戦後にかけて、世界的に「新教育」(New Education)もしくは「新学校」(New School)をキーワードに、イギリスから始まりフランス、ドイツ、イタリアからアメリカ、ロシア、インド、中国、そして日本にまで及ぶ世界的な規模で展開された教育改革運動のこと。ただし、思想においても、教育実践の手法においても一枚岩ではない。かろうじてジャン・ジャック・ルソー、ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ、およびフリードリヒ・フレーベルの思想の継承発展によって、書物を通じての主知主義の教育に対して、子どもの自主的で、主体的な活動を尊重するという児童中心主義の考え方にその共通点を見出す。
この運動は、具体的には1889年イギリスのセシル・レディーによってアボッツホルムに設立された学校に始まると言われる(アボッツホルム・スクール)。この学校は、フランスのエドモン・ドラモン 、ドイツのヘルマン・リーツらに影響を与え、ロッシュの学校(パリ郊外、ロッシュはフランス語で「岩」のこと)、田園教育塾運動を発展させた。そして、この運動からヴィネケンやゲヘープによって、生徒の自治活動を尊重する自由学校共同体の運動が現れた。1900年スウェーデンのエレン・ケイが書いた『児童の世紀』は世界中に大反響を呼び、新教育運動のバイブルと呼ばれた。
アメリカでは、アメリカの民主主義を基礎に、1883年パーカーによって始まり、1896年のジョン・デューイのシカゴ大学の実験学校によって更に前進し、進歩主義教育運動として展開された。この運動は、パトリック・キルパトリックらのプロジェクト・メソッドを生み、ヴァージニア・プランなど徹底的な経験主義カリキュラムを採用する数々の州教育計画を成立させ、コミュニティ・スクール(地域社会学校)運動を発展させていった。
また、この動きが単に教育者と学校改革の分野だけでのものでなかった証に、作家や芸術家もこうした運動に共鳴し、自らも学校を試みる者が少なくなかった。作家のトルストイ、思想家のバートランド・ラッセル、詩人のタゴールなどはその例である。