押川方義
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押川 方義(おしかわ まさよし、1850年 - 1928年)は、日本人のキリスト教宗教家、教育家。東北学院の創立者。
[編集] 生涯
松山藩士橋本宅次の三男として生まれ、押川万至の養子となる。1869年「横浜英語学校」でキリスト教に触れ、1872年「横浜海岸教会」にて宣教師ジェームズ・E・バラより洗礼を受けた。日本最初のプロテスタント教会である「日本基督公会」を組織する。東北地方を中心に伝道活動を行い、1886年アメリカ人ドイツ改革派教会宣教師のウィリアム・E・ホーイとともにキリスト教伝道者育成を目的とした「仙台神学校(東北学院)」及び、女子教養教育の普及を目的とした「宮城女学校(宮城学院)」を創設した。現在では、両校とも東北地方屈指の名門校として知られている。 1917年4月1920年5月の2回、衆議院議員に選出された。
長男は、SF作家の草分け、押川春浪(本名、方在)。二男は、プロ野球の生みの親である押川清。