徳川斉順
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徳川 斉順(とくがわ なりゆき、享和元年9月9日(1801年10月16日) - 弘化3年5月8日(1846年6月1日))は、江戸幕府11代将軍徳川家斉の第7男であり、清水徳川家第3代当主を経て、第11代紀州藩主に転出した。 幼名、菊千代。紀州藩13代藩主・14代将軍徳川家茂の父である。しかし、家茂が生まれる前に没したため、家茂は実父の斉順にあったことがない。
紀州藩第10代藩主・徳川治寶に後継ぎが生まれなかった為、第11代藩主となったが、贅沢な生活をおくったので、藩の財政は傾いてしまった。そのうえ、治寶が政治の実権を握っていた為、斉順は名ばかりの藩主であった。
[編集] 経歴
- 1801年(享和元)9月9日、誕生。幼名:菊千代。
- 1805年(文化2)11月28日、江戸城内清水館に定住。清水家の当主となる。
- 1810年(文化7)12月1日、3万俵を賜う。
- 1815年(文化12)2月9日、元服し、将軍徳川家斉の諱を一字賜り、斉順と名乗り、従三位に叙し、左近衛権中将兼式部卿に任官。
- 1816年(文化13)6月3日、紀州藩主徳川治寶の養子となり、同藩主の世継ぎをなる。なお、式部卿を辞任。 11月28日、紀州家藩邸に入る。
- 1819年(文政2)11月15日、参議に補任。
- 1824年(文政7)6月6日、家督を相続し、紀州藩主となる。 12月1日、権中納言に転任。
- 1828年(文政11)2月18日、従二位に昇叙し、権大納言に転任。
- 1837年(天保8)8月23日、正二位に昇叙し、権大納言如元。
- 1846年(弘化3)5月8日、薨去。 法名:顕龍院殿二品前亜相恭譲圓輝大居士