後古典期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
後古典期(こうこてんき;Post Classic period(Stage,era)) は、メソアメリカの考古学の時代区分。 マヤ文明で日付けの刻まれた最後の石碑であるトニナーの記念碑101号に刻まれた長期暦の10.4.0.0.0.(紀元909年)を開始の基準として900年に置く。この時期までに古典期マヤの中部地域の都市はほとんど放棄されていた。後古典期の終わりは、諸説ある。主なものとしては、アステカ帝国滅亡(1521年)までと考える場合、マヤでは、ペドロ・デ・アルバラードによってグアテマラ高地のキチェー王国が滅ぼされ、スペインのグアテマラ征服が完了したのが1524年なので、この年におく場合である。しかし、一方では、モンテホのユカタン征服事業も同時進行で行われていたので、モンテホのユカタン征服が一応完了しメリダが建設された1542年におく場合もしばしば終了の年代に挙げられる。インカ征服が1532年であったことに合わせて、おおむね1520~1530年代においている。遅らせる極端な考え方としては、ペテン=イッツア湖にあるタヤサルが征服された1697年であるが、あまりにも極端なので、そういった研究者はいない。メキシコ中央高原征服の1521年に近い1524年を区切りにするのが適当と思われる。