広済院・広拯院
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広済院(こうさいいん)と広拯院(こうじょういん)は、平安時代初期に伝教大師こと最澄が、信濃国を旅したとき、美濃国との国境付近に位置する神坂峠のあまりにもの急峻さに驚かれて、旅人の便宜を図るために信濃側と美濃側に一軒づつ作ったとされる「お救い小屋」である。
[編集] 梗概
信濃側に作られた広拯院については長野県下伊那郡阿智村の園原の「月見堂」がその位置であるとされる。
一方美濃側に作られた広済院については、「作られたこと」については記述があるものの、その位置がはっきりせず、そのために神坂峠から同じ距離になる位置に比叡山延暦寺の手によって特別養護老人ホーム「広済寮」が建てられている。
なお、見出しのとおりのいきさつから、広拯院(月見堂)近辺は最近「信濃比叡」として整備されている。
※2005年10月23日に信濃比叡本堂にて伽藍完成に伴う開眼法要が営まれた。この際、千日回峰行の行者により、本山の延暦寺根本中堂より「不滅の法灯」を分灯したものが本堂(信州比叡根本中堂)に灯された。そしてその灯りは本山の根本中堂のそれと同様、本堂の片隅で永遠に燃え続けることとなるであろう。
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