幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門
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『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』(まぼろしにこころもそぞろくるおしのわれらまさかど)は、清水邦夫作による舞台作品。
[編集] 概要
自分のことを平将門追討の武者だと思い込む狂気の将門と、彼の回復に望みを繋ぎながら行動を共にする仲間たち。変革の戦いに敗れゆく将門たちに70年代の政治闘争末期を重ね合わせた群像劇。
戯曲は1975年に「書き下ろし新潮劇場」シリーズとして出版。「風屋敷」の旗揚げ公演として同年上演される予定だったが、内部分裂で公演中止となった。初演は1976年(劇団河公演)。1978年にはレクラム舎公演で上演されたが、事故により公演期間が予定よりも短縮するなど、上演運に恵まれなかった戯曲ともいえる。2005年には蜷川幸雄演出で上演されている。
[編集] あらすじ
藤原勢に追い詰められ、敗走する平将門一行。将門は頭の怪我が原因で、自分のことを将門の命を狙う武者だと思い込む狂気にとりつかれてしまっている。
参謀者の三郎は将門の回復に望みを繋ぎながら、一行の統率をはかる。三郎の妹・ゆき女は歩き巫女に身をやつしつつ、兄の元に現れる。三郎の弟・五郎は、将門の影武者の身から、新たな将門になろうと野心を燃やし、将門の恋人・桔梗はそんな彼を焚きつける。
味方も少数となっていく一行に藤原の追っ手が迫る…。
[編集] 経緯
本作品は、清水邦夫が蜷川幸雄の要望を受けて書かれた戯曲だった。二人は劇作と演出のコンビを組んで次々と作品を発表していたが、次第に演技や演出が自己模倣をするようになっていた。それを危ぶんだ蜷川は、俳優たちが劇作や演出を先取りしないよう文体を変えた長い台詞で、平将門を題材にした戯曲を書くことを清水に要求した。しかし、それが実現に至る前に彼らの集団である劇結社「櫻社」が解散してしまったため、蜷川が演出を手がけることはできなくなった。
櫻社解散後、戯曲を完成させた清水は石橋蓮司、山崎努、松本典子、緑魔子らと「風屋敷」を結成、清水の演出で上演を目指したが、公演初日直前で解散してしまう。後に劇団河の公演で清水が演出を務め、上演が実現した。 レクラム舎による公演では、8日間公演の予定が4日間になってしまった。出演俳優の事故が原因らしい。
1982年の『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』より清水と蜷川は再び組んで作品を発表するようになっていたが、櫻社の解散など様々な事情を背景に抱える『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』の蜷川演出が実現したのは、ようやく2005年になってからだった。