實川延若 (初代)
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初代實川 延若(じつかわ えんじゃく、天保2年6月23日(1831年7月31日) - 明治18年(1885年)9月18日)は、大阪の歌舞伎役者。本名天星庄八。屋号は河内屋。
大阪で大工の子として生まれ、3歳で芝居茶屋河内屋庄兵衛の養子となり、芝居の世界に入る。1838年(天保9年)、歌舞伎役者二代目實川額十郎の門人となり實川延次と名乗る。その後一時舞台を離れるが、1843年(天保14年)實川延三郎門下で實川延二郎となる。1854年(安政元年)、江戸に下る。尾上菊五郎 (4代目)に認められ尾上家の養子となり、1859年(安政6年)尾上梅幸を襲名。しかし、養父が死に、本人も病に伏すなどの理由で尾上家から離縁され、再び大阪で活躍。ために天星庄八の梅幸は代数に数えない。1863年(文久3年)、師匠・額十郎の俳名である實川延若を名乗る。以後、人気役者として幕末から明治にかけ、初代中村宗十郎、初代市川右團次とともに大阪の劇壇に活躍した。世話物を得意とし、『心中天網島』の治兵衛、『雁のたより』の三二五郎七が当り役。ソフトでこってりとした芸風で、その本格的な上方和事の演技は、実子の二代目延若や中村鴈治郎 (初代)に受け継がれた。