富永仲基
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富永仲基(とみながなかもと、正徳5年(1715年) - 延享3年8月28日(1746年10月12日))は、江戸時代大坂の町人学者。懐徳堂の学風である合理主義・無鬼論の立場に立ち、儒教・仏教・神道を批判した。
懐徳堂の五同志の富永芳春(道明寺屋吉左衞門)の3男。通称は道明寺屋三郎兵衞、字は子仲、号は南關、藍關、謙斎。
懐徳堂で弟の富永定堅とともに三宅石庵に学ぶが、独特の加上説によって儒教を批判したため破門されたというが、これは富永を批判する仏教僧側からの主張であるので事実は疑われている。
主な著書は『出定後語』、『翁の文』。
富永仲基で、特筆すべき第一は‘加上’の考え方にあり、その根底に「善」があること、これが即ち聖と俗とを区別する根本であるとする点にある(『出定後語』参照)。この説は本居宣長により評価された。
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