宿善
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宿善(しゅくぜん)とは、浄土真宗の教義にある言葉の一つ。過去世に行った善業のことをいう。
[編集] 概要
宿は宿世、過去世のことを言う。しかし、生れる前の過去世に限ったことではなく、宿善開発して阿弥陀仏の救いに与かるまでの一切の過去を言う。 浄土真宗における、信心獲得の因縁となるべき善業を宿善という。 宿因、宿縁は同じ意味である。
『無量寿経』巻下に「もし人、善本なければ、この経を聞くことを得ず。清浄に戒を有てる者、いまし正法を聞くことを獲。むかし、さらに世尊を見たてまつるもの、すなわち能くこの事を信ぜん。謙敬して聞きて奉行し、踊躍して大きに歓喜せん。慢と蔽と懈怠とは、もってこの法を信じ難し。宿世に諸仏を見たてまつれば、楽んでかくのごときの教を聴かん。」と説かれている。 つまり、過去世に仏教、阿弥陀仏の本願を聞いてきた人でなければ、 今生で真実の仏教に遇い、信心獲得する(阿弥陀仏に救われる)ことはできないということ。
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