安住淳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安住 淳(あずみ じゅん、男性、昭和37年(1962年)1月17日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(4期)。元日本放送協会政治部記者。学歴は早稲田大学社会科学部卒業。学位は社会科学士(早稲田大学)。
生年月日 | 昭和37年(1962年)1月17日 |
---|---|
出生地 | 宮城県牡鹿郡牡鹿町(現・石巻市) |
出身校 | 早稲田大学社会科学部卒業 |
学位・資格 | 社会科学士(早稲田大学) |
前職・院外役職(現在) | テレビ局記者 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長 衆・総務委員会委員 衆・政治倫理審査会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
宮城5区 |
当選回数 | 4回 |
所属党派(現在) | 民主党 |
党役職(現在) | 宮城県総支部連合会副代表 |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館503号室 |
ウェブサイト | 安住淳ホームページ |
目次 |
[編集] 概要
- 昭和37年(1962年)1月17日宮城県牡鹿郡牡鹿町(現石巻市)に生まれる。父、安住重彦は元牡鹿町長。宮城県石巻高等学校を経て、昭和60年(1985年)早稲田大学社会科学部を卒業する。同年4月日本放送協会(NHK)に入局し、政治部記者となる。
- 平成5年(1993年)にNHKを退職し、第40回衆議院議員総選挙に無所属(日本新党・新党さきがけ推薦)で旧宮城2区から立候補する。政治改革を争点としたこの選挙で旧宮城2区には、候補者が乱立し、安住は落選するが、次第に地盤を固め、日本社会党出身で郵政大臣などを務めた日野市朗との間で候補者調整、選挙協力を実現し、平成8年(1996年)の第41回衆議院議員総選挙において民主党公認で立候補し、当選する。当初は、日野との間に小選挙区と比例区に交代で立候補する予定であったが、以後、小選挙区は安住、比例区は日野という棲み分けができる。
- 民主党では、党副幹事長、常任幹事、宮城県連代表を務める。民主党が苦戦を強いられた平成17年(2005年)9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、唯一宮城県の小選挙区で議席を維持した。総選挙後の前原新体制で、選挙対策委員長に就任する。
[編集] 主な政治的主張
- 本人曰く、毎日、靖国神社に参拝しているという。
- サンフランシスコ講和条約11条で東京裁判を受諾している。日本国民もドイツを見習ってニュルンベルク裁判のように自らで戦犯を裁くべきであった。
- 二大政党制を強く望んでおり、地元周りで意識改革を訴えている。野党を育てるのは国民の責任であり、与党の横暴を許すのも国民の責任である。
- 特定アジア外交については大人の態度で黙って見守るべき。
[編集] その他
- 阪神タイガースのファンで、「阪神タイガースを応援する議員の会」の23人の発起人の一人。「阪神タイガースが優勝したら国会で六甲颪を歌う」が同会の活動方針。現在の同会の動向は不明。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 安住淳ホームページ(公式サイト)
- 民主党宮城県総支部連合会