安井吉典
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安井吉典(やすい よしのり、1915年10月30日 - )は日本の政治家。衆議院副議長。
北海道生まれ。1940年東北帝国大学法学部を卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に入社し、秋田県の尾去沢鉱業所に勤務。1946年に退社し郷里の上川支庁東神楽村(現・東神楽町)に帰郷、翌年初の首長公選で村長に当選。3期11年務める。1956年の大凶作では村内に「困ったこと相談所」を10ヶ所設置し、農家金融対策や、冷害克服生活改善運動を展開した。
1958年、日本社会党公認で衆議院議員に初当選、連続11回当選を果たす。党内では右派の河上丈太郎派に属し、後に若手議員を主体としたグループ「新しい流れの会」の会長を務めた。一貫して反社会主義協会の立場を取り続けた。
1977年に党副委員長。1989年6月に衆議院副議長に就任し、翌1990年に引退する。後継者は佐々木秀典
安井は朝鮮問題では一貫して北朝鮮支持を表明しており拉致事件を知っていながら北朝鮮を支持し続けたという批判がある。
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