大田原高清
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大田原 高清(おおたわら たかきよ)は、江戸時代の大名。下野大田原藩の第3代藩主。
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時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 寛永14年(1637年) | |||
死没 | 元禄11年6月11日(1698年7月18日) | |||
別名 | 彦次郎、主膳(幼名) | |||
戒名 | 千秋院殿久昌長栄大居士 | |||
官位 | 従五位下、山城守、織部正 | |||
藩 | 下野大田原藩主 | |||
氏族 | 大田原氏 | |||
父母 | 父:大田原政清、母:織田長政の娘 | |||
兄弟 | 弟:大田原為清 | |||
妻 | 正室:牧野定成の娘 | |||
子 | 1女(大田原典清の正室)、養子:大田原典清 |
寛永14年(1637年)、第2代藩主・政清の子として生まれる。万治4年(1661年)、父の死去により家督を継いだ。このとき、弟の為清に1000石を分与したため、大田原藩は1万1400石となる。同年12月28日に叙任する。しかし延宝5年(1677年)9月25日、家臣の大田原主水との対立を将軍・徳川家綱より咎められて、命令により半ば強制的に養子の典清に家督を譲って隠居することとなった。同年、官位を山城守から織部正に改める。
元禄11年(1698年)6月11日に死去。享年62。墓所は大田原市の光真寺。