内藤隆春
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内藤 隆春(ないとう たかはる、享禄元年(1528年) - 慶長5年(1600年))は大内氏次いで毛利氏の家臣。内藤興盛の五男。妻は吉見隆頼の娘。内藤元盛は養子。
1557年、大内義長の自害により大内氏が滅亡すると、毛利氏の家臣となる。同年、大内氏の残党によって大内義隆の遺児を擁立して大内氏再興を図る動きがあったが、隆春はそれを事前に食い止めた。また、姉が毛利隆元に嫁いでいたこともあって、その後は長門の政務を任され、重用されたという。最晩年には輝元の指示により上洛、大内氏以来の公家衆とのつながりを生かして中央の情報収集に活躍した。