伊東祐民
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伊東 祐民(いとう すけたみ、1792年3月14日(寛政4年2月22日)-1812年8月6日(文化9年6月29日))は、日向飫肥藩の第11代藩主。父は第10代藩主・伊東祐鐘。母は稲葉弘通の娘。正室は浅野斉賢の娘。官位は従五位下。修理大夫。
1792年2月22日生まれ。1798年、父の死去により後を継ぐ。藩主は幼少であったが、家臣の野中金右衛門が植林事業に取り組んで飫肥杉としてその名を広め、飫肥藩の財政を立て直した。また、学問所を設置して学問の奨励を行ない、この時代に安井息軒の父親が学んでいる。1812年6月29日、21歳の若さで死去。嗣子が無く、弟の伊東祐丕が後を継いだ。法号は泰梁院通峯玄津。
- 伊東氏(飫肥藩11代)藩主
- 1798~1812
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- 先代:
- 伊東祐鐘
- 次代:
- 伊東祐丕