人狼 JIN-ROH
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『人狼 JIN-ROH』(じんろう)はProduction I.G制作の日本のアニメ映画。2000年6月3日に劇場公開された。上映時間は98分。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
目次 |
[編集] 作品概要
押井守の代表作である「ケルベロス・サーガ」の一作。
[編集] あらすじ
ドイツによる占領統治という、もう一つの戦後を辿った日本。占領軍統治下の混迷からようやく抜け出し、国際社会への復帰を図るべく「高度経済成長」の名の下に急速な経済再編が行われる。強引な経済政策は、その実を結ぶ一方で失業者の群れとスラム化を温床とした凶悪犯罪の激増という病根も生み出した。わけても、武装闘争を掲げた反政府勢力の急速な台頭は深刻な社会不安を醸成していた。
自衛隊による治安出動を回避し、かつ国家警察への昇格を目論む自治体警察を牽制すべく政府が選択した第三の道が、首都圏治安警察機構、通称「首都警」の設置である。首都警は、警察庁とは独立した警察組織である。そして、中核をなす警備部特殊機甲大隊、通称「特機隊」は迅速な機動力と強大な打撃力を持つ精鋭部隊であったが、当面の敵であった反政府勢力が非合法化を含むさまざまな立法措置によって解体し、離合集散の末に「セクト」と呼ばれる都市ゲリラを生み出すにおよんで状況は大きく転回することになる。特機隊とセクトの武力衝突は苛烈をきわめ、時に市街戦の様相を呈することもしばしばであり、武戦路線を突き進む特機隊と首都警は世論の批判を集めていた。
そのような情勢下、特機隊前衛隊員の伏一貴は地下溝内での反政府ゲリラ掃討作戦中に一人の少女に遭遇する。少女はセクトの構成員であり投擲爆弾を抱えていたが、伏は撃つことが出来ず自爆を許す。その責任を追及され、首都警養成校での再訓練を命じられた伏が自爆した少女の墓地に赴くと、そこにはあの少女と非常によく似た少女が立っていた。死んだ少女、七生の姉の圭である。圭は伏を責めることは全くせず、次第に二人は心を通じ合わせるようになる。密会を重ねる彼らであったが、その背後では特機隊を切り捨て自治体警察と組織的統合を画策する首都警公安部と、特機隊内部に存在すると噂され、特機隊の存続を図ろうとする人狼なる組織の策謀が動いていた。
[編集] スタッフ
- 原作・脚本:押井守
- 監督:沖浦啓之
- 演出:神山健治
- キャラクターデザイン:沖浦啓之 西尾鉄也
- 作画監督:西尾鉄也
- 美術監督:小倉宏昌
- 銃器設定:黄瀬和哉
- 音楽:溝口肇
- 音響監督:若林和弘
- 効果:野口透(アニメサウンド)
- アニメーション制作プロダクション:Production I.G
- 製作:バンダイビジュアル Production I.G、他
[編集] キャスト
[編集] 概要
『紅い眼鏡』、『ケルベロス 地獄の番犬』、『犬狼伝説』で語られてきた、ケルベロス・サーガの初のアニメ化作品がこの『人狼 JIN-ROH』である。
押井守がバンダイビジュアルとのミーティングに呼ばれ、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の企画が提示された。だがその時押井の鞄の中には結局提出されなかった企画書があり、それが『犬狼伝説』のアニメ化の企画だったのである。 その後、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が完成に近付きつつある頃、再びこの『犬狼伝説』アニメ化の企画が動き出した。当初は当時コミック化されていた『犬狼伝説』全6話をOVAでやるという話だったのだが、どうせならしっかりしたものを作ったほうが良いということになり、劇場版を作ることにった。それなら新たに脚本を起こさねばならなくなるが、押井守脚本の押井守監督作品というものにバンダイビジュアルなどが難色を示した(押井守が暴走するのを恐れたのだろう)。いつも押井守監督作品で脚本を書いている伊藤和典は『犬』には手を出さないことにしているし、押井は別の人に、押井自身の世界であるこの物語のの脚本を任せるつもりもなかった。そこで押井は自分が脚本を書くかわりに監督は別の人に任せろという条件を呑んだのだが、そこで監督として白羽の矢が立ったのが、『OVA版犬狼伝説』のうちの1話を任されるはずだった沖浦啓之である。 沖浦はOVAから突然劇場作品になったことに驚き躊躇した。そこで沖浦は押井に、「若いキャラクターを出すこと」などの、脚本に対しての注文を付けたのである。恐らく押井はその要求を拒むだろうから、そうすればそれを口実にして沖浦は監督を降りる心算だったらしい。 ところが押井はその脚本についての要求をあっさりと呑んでしまい、沖浦も後には引けなくなった。押井氏は脚本を上げると後のことには全く関与せず沖浦氏に任せ、こうして押井守原作・脚本、沖浦啓之監督の映画『人狼 JIN-ROH』が作られることになる。
……というのが色々な雑誌などに掲載された情報を元にした、『人狼』製作の経緯のようだ。
映画は1998年末には完成した。だが配給の問題で公開はずるずると遅れることになる。松竹の経営危機やDTS対応映画館(『人狼』はDTSで収録された)の確保の難しさなどがその原因であったらしい。 一方、釜山ファンタスティックアニメーションフェスティヴァル(韓国)、99年ベルリン国際映画祭(ドイツ)、ファンタスポルト 1999(ポーランド)、ブリュッセル国際ファンタジー・SF・スリラー映画祭(ベルギー)、アンシー国際アニメーションフェスティヴァル(フランス)、UCLA(カリフォルニア大学ロスアンジェルス校)アニメフェスティヴァル(アメリカ)、シンガポール映画祭(シンガポール)、モントリオールFANT-ASIA映画祭(カナダ)と世界各地の映画祭で公開され、ファンタスポルト 1999ではJury's Special Award(審査員特別大賞)及びAward for the Best Anime(最優秀アニメーション賞)を受賞され、その他の映画祭でもいろいろ賞を獲得。1999年12月にはフランスで公開されてル・モンド(Le-Monde)の一面に写真付きで紹介され、2000年2月にはドイツでの公開も決定した。 日本では毎日新聞の毎日映画コンクールでアニメーション映画賞を獲得することになる。他のエントリー作品が全て既に公開済みなのに対して、『人狼』のみが未公開という状況の中での「珍事」であった(規定で、ノミネートできるのは公開された作品のみとなっているのだが、アニメに関してだけは実験アニメなどの為の配慮だろう、公開前の作品でもエントリー可能となっている)。
日本の一般に対する初公開は、かつて『ケルベロス 地獄の番犬』が公開されたゆうばり国際ファンタスティック映画祭となった。劇場公開は2000年初夏にテアトル新宿、テアトル梅田、名古屋シルバー劇場を始めとしたテアトル系で、そしてミニシアター系を中心として公開。上映が非常に好評なため、当初の予定より大幅に公開館は拡大された。
その後DVDとLDが発売される。ちなみに『人狼』のLDは、バンダイビジュアルが発売する最後のLDメディアとなった。
このアニメーションは“最後のセルアニメ大作”と呼ばれている。事実、セル撮影のアニメとしては最大最後の作品であろう。天才的アニメーター沖浦啓之によるこだわりが生み出したこの映画、その作画の技術力、レヴェルは、市場最高級のものとなっている。
引用元:http://www.kyo-kan.net/pukiwiki/index.php?%E4%BA%BA%E7%8B%BC%20JIN-ROH
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