マーストン・ムーアの戦い
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マーストン・ムーアの戦い | |||
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戦争: 清教徒革命(第1次内戦) | |||
年月日: 1644年7月2日 | |||
場所: ヨーク西方10km | |||
結果: 議会・盟約連合軍の勝利 | |||
交戦勢力 | |||
国王軍 | 議会軍 盟約軍 |
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指揮官 | |||
ニューカッスル公 プリンス・ルパート |
フェアファクス マンチェスター伯 リーヴン伯 |
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戦力 | |||
騎兵 6,000 歩兵 11,000 大砲 14 |
騎兵 7,000 騎馬歩兵連隊 500 歩兵 14,000 大砲 30-40 |
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損害 | |||
死亡4,000 捕虜1,500 |
死亡300 | ||
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マーストン・ムーアの戦い(Marston Moor, The Battle of)は、清教徒革命の内戦における国王軍と議会軍の戦闘である。アドウォルトン以来、イングランド北部は国王軍がほぼ掌握していたが、この戦闘で議会軍の有利に一挙に傾いた。
議会軍はスコットランド盟約派と同盟関係をむすぶことに成功し、盟約軍に出兵を依頼した。これを受けて盟約軍はイングランド北部に侵攻してきた。ニューカッスル公はヨークまで軍を退き、態勢の立て直しをはかった。議会軍はフェアファクスの軍のみならず、マンチェスター伯の東部連合軍やリーヴン伯率いるスコットランド盟約軍を加え、ヨークを包囲する構えを見せた。チャールズ1世は甥のルパートを救援にさし向け、ヨークの孤立はまぬがれた。両軍はヨーク近郊のマーストン・ムーアで対峙した。
左翼はクロムウェル率いる東部連合軍および鉄騎隊、リーヴン伯のスコットランド盟約軍で構成された。戦闘はリーヴン伯の突撃によって始まった。雨の中国王軍右翼に突撃をかけて驚かせはしたが、国王軍の反撃にあい崩れつつあった。そこにクロムウェルが攻め込み、一撃で国王軍右翼を粉砕してしまった。国王軍右翼の指揮官バイロン男爵は軍を再結集させて反撃を試みたが、敗勢を覆すことはできなかった。
これをみて、中央に布陣していたルパートが自らの手勢とバイロン男爵軍の敗残兵をあわせ、クロムウェルの部隊に攻撃した。クロムウェルはこれも撃退し、ルパートはからくも捕虜とならずに戦場を脱した。フェアファクスら他の議会軍はクロムウェルの部隊と呼吸をあわせ、国王軍をほぼ完璧に打ち破った。
この戦いによって、イングランド北部で議会軍がある程度有利な情勢になった。またクロムウェルは功績をほぼ独占し、おおいに名を上げた。しかし議会軍全体はまだ弱く、全面攻勢をかけるほどの力はなかった。