タラの丘
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タラの丘(英語The Hill of Tara, アイルランド語Teamhair na Rí)はアイルランドのミース州ナヴァンの12km南方にある丘陵。アイルランドにおける伝説上の上王たちの国が存在した地として知られる。
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[編集] 遺跡
丘の頂には鉄器時代の要塞跡が残されている。周囲長が1000mほどあるこの要塞は王の砦Ráith na Rigと名付けられており、連結された円形の砦コーマックの居城 Teach Chormaicと王座 Forradhが有名である。王座の中心部にはペニスを模したと思われる立石Lia Failが残っており、上王はここで即位の儀式を行ったと推定されている。円形要塞の北には捕虜の墓Dumha na nGiallと呼ばれる新石器時代の通路古墳がある。
[編集] その重要性
数世紀に渡って考古学者たちがタラの発掘をおこなっており、これまでの研究成果からは1169年のリチャード・ド・クレアによる侵攻以前にはタラの丘がアイルランドの政治的、精神的中心地であったと見られている。その歴史は現在も完全には明らかになっていない。
ケルト族がアイルランドに居住した時代には既にタラの丘は何らかの聖地として用いられていた。伝説ではケルト族よりも前にアイルランドに住んでいたTuatha Dé Danannがタラの丘を住居としていたとされる。最近の研究から遺跡の一部が新石器時代、5000年ほど前のものであることが分かってきた。捕虜の墓にある通路には毎年11月8日と2月4日に日光が差し込むよう設計されており、これはケルトの祭日と一致する。ケルト族がアイルランドに渡来すると、ミース王がタラの丘から全アイルランドを支配した。最もよく知られている歴史は6世紀まで続いたタラの上王の居住地としてである。王の即位は立石の前で行われた。その繁栄は失われたものの12世紀までこの役割は残されていた。丘陵付近で発見された墓の埋葬者はアイルランドの最後の非キリスト教徒の王であったLóegaire mac Néillのものであると考えられている。
1798年のイギリスに対する反乱の際ユナイテッド・アイリッシュメンはタラの丘にキャンプを構えたが、5月26日の戦闘に敗れ400名が殺害された。19世紀にはダニエル・オコンネルがタラの丘でアイルランド自治を訴える演説会を開いたが、この集会には100万人ものアイルランド人が集まっている。
映画「風と共に去りぬ」で主人公のスカーレット・オハラの住む"タラ"の名はこの丘に由来する。
[編集] 参照
- タラの上王
[編集] 外部リンク
- Hill of Tara Megalithic Ireland内
- Stones of Ireland - Tara
- Tara Ancient Worlds内
- 丘陵の航空写真
- Heritage of Ireland, Tara
- Mythical Ireland
カテゴリ: アイルランドの歴史 | アイルランドの観光地 | ケルト