サンチョ2世 (カスティーリャ王)
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サンチョ2世(スペイン語:Sancho II, 1040年 - 1072年10月7日)は、カスティーリャ王国の国王(在位:1065年 - 1072年)、後に兼レオン王(在位:1072年)。「強王(el Fuerte)」と呼ばれる。フェルナンド1世(大王)とその王妃であったアルフォンソ5世の王女サンチャの長子。父の死後分割されたカスティーリャ=レオン王国を統一すべく戦いに明け暮れたが、達成直前に暗殺された。
1065年、カスティーリャ=レオン王であった父の遺言により、カスティーリャをサンチョ2世が、レオンをアルフォンソ6世(勇敢王)が、ガリシアをガルシア2世が、トロとサモラを王女のエルビラとウラッカがそれぞれ相続した。
1068年の「三人のサンチョの戦争」でサンチョ2世は従兄弟であるナバーラ王サンチョ4世とアラゴン王サンチョ1世を破り、ブレバ、アルタ・リオハ、アラバを征服した。これらは父フェルナンド1世がナバーラ王ガルシア5世へ、レオン王ベルムート3世に対抗する援助の代わりに与えた土地だった。
次いでサンチョ2世は弟アルフォンソ6世と協力してガリシアを征服したが、成功した後彼は弟を裏切った。部下エル・シドの活躍もあり、サンチョ2世はルランタダとゴルペヘラでアルフォンソ6世を破って王位を奪った。アルフォンソ6世は当時まだイスラム圏だったトレドへ亡命し、残るはサモラのみとなった。しかし妹でサモラ領主となっていたウラッカはサンチョ2世に対し頑強に抵抗した。そして攻城戦の最中、Vellido Dolfosはサモラ守備隊の秘密を漏らす脱走兵のふりをして陣に潜入し、サンチョ2世を暗殺した。 この暗殺の黒幕はアルフォンソ6世とウラッカであるといわれるが定かではない。また、この二人は近親相姦の関係にあったという噂も流れた。
サンチョ2世は未婚で嗣子はなく、帰還したアルフォンソ6世がカスティーリャとレオン両方の王位を嗣いだ。
この事件は叙事詩『わがシドの歌(Cantar de Mio Cid)』に描かれている。
- カスティーリャ王
- 1065-1072
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- 先代:
- フェルナンド1世(大王)
- 次代:
- アルフォンソ6世(勇敢王)
- レオン王
- 1972
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- 先代:
- アルフォンソ6世(勇敢王)
- 次代:
- アルフォンソ6世(復位)
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