キシュウローレル
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性別 | 牝 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1970年4月19日 |
死没 | 1974年10月27日 |
父 | ゴールデンパス |
母 | カネスカイ |
生産 | 浦新栄太郎 |
生国 | 日本(北海道門別町) |
馬主 | 木村善一 |
調教師 | 梅内慶蔵(栗東) |
競走成績 | 15戦7勝 |
キシュウローレルは、日本の競走馬。阪神3歳ステークスを制した牝馬である。同期には地方の怪物・ハイセイコーが居る。
(年齢は当時に合わせ旧表記に統一する)
[編集] 戦績
朝日チャレンジカップ勝ちのある持込馬・ゴールデンパスを父として、キシュウローレルは1970年4月19日に誕生した。1972年9月17日のデビュー戦を大差勝ち、次走・デイリー杯3歳ステークスをレコード勝ちと快進撃。更に、オープン勝ちを挟んで挑戦した阪神3歳ステークスを紅一点ながら1番人気で快勝。これらの勝利(4連勝)が決め手となり、キシュウローレルはこの年の優駿賞最優秀3歳牝馬に選ばれた。
翌1973年、関西牝馬ナンバー1に上り詰めたキシュウローレルはクラシックの本命として参戦する筈だったが、関東代表・ニットウチドリが彼女の前に立ちはだかる。走り慣れている筈(ニットウチドリは関西初遠征)の阪神で開催の阪神4歳牝馬特別(1番人気)・桜花賞(2番人気)に挑んだが、共にニットウチドリのレコード駆けに遭い、よもやの2着惜敗に終わった。このショックが尾を引いたのか、キシュウローレルは不振に陥る。オークスに参戦する事無く(其の為、キシュウローレルは一度も関東で走っていない)休養に入り立て直しを図り、京都のオープン戦で復帰するも1番人気を裏切る3着、次走・セントウルステークスも2着止まりであった。
年が明けて1974年2月24日、古馬となったキシュウローレルは裏開催(中京)のオープンで久し振りの勝利を手にすると、次走・阪神のオープンでは敢えて抑える競馬に挑戦するが、この戦法がお気に召さなかったのか全く良い所無くブービー負け。だが、体勢を立て直しを図るべく再度休養を挟んで挑戦した早鞆ステークス(小倉1200メートル)を、1分9秒4のレコードタイムで逃げ切り勝ち。久し振りに快速振りをアピールしたのである。短距離快速逃げ馬として完成の域に達したキシュウローレルは、引退レースを飾るべく10月27日京都牝馬特別に離れた2番人気で出走した。このレースの1番人気は同じ快速でならす1歳下のイットーで、関西牝馬ナンバー1の座を奪還を手土産に故郷へ帰還、類稀なるスピードを残すべく繁殖入りする予定であった。だが、残酷な運命がキシュウローレルに襲い掛かったのであった。
京都名物・第3コーナーの下りを駆け抜けた瞬間、ここまで先頭を誰にも譲ること無かったキシュウローレルが突然崩れ落ちたのである。主戦騎手・梅内忍(のち調教師)は馬場に投げ飛ばされ瀕死の重傷を負い(この落馬事故から数ヵ月後に復帰するが、その後は不振により騎手を退いた)、先行集団に居たイットーは巻き添えを食らい10着敗退の上に負傷(右後脚を7針縫う裂傷)した為、秋の大目標ビクトリアカップに出られなくなった。当のキシュウローレルは何とか立ち上がったものの、誰の目から見ても明らかな致命的な怪我(左前脚骨折)を負い、レース後予後不良、安楽死処分となった。