カルロ・エマヌエーレ1世
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カルロ・エマヌエーレ1世(Carlo Emanuele I, 1562年1月12日サヴィリアーノ - 1630年7月26日)は、1580年から1630年にサヴォイア公、サルッツォ候(1588年から)、ピエモンテ皇子、アオスタ伯、モリアーナ伯、ニース伯である。さらに、キプロス王、エルサレム王である。通称イル・グランデ(il grande)。
トリノに宮廷を持ち建築家、詩人、芸術家などに囲まれた。 モンドヴィ近くにある彼が出資したヴィコフォルテの聖域に埋葬された
彼はカテリーナ・ミカエーラ・ディ・スパーニャ(Caterina Micaela di Spagna, 1567年-1597年)と結婚した。彼女はフェリペ2世とエリザベート・ド・ヴァロワの娘で、十人の子供をもうけた。
- フィリッポ・エマヌエーレ (Filippo Emanuele, 1586-1605)
- ヴィットーリオ・アメデーオ1世 (Vittorio Amedeo I)
- エマヌエーレ・フィリベルト (Emanuele Filiberto, 1588-1624), シチリア副王 (1622-1624)
- カルディナーレ・マウリツィオ (Cardinale Maurizio, 1593-1657)
- マルゲリータ (Margherita, 1589-1655), マントヴァのフランチェスコ4世・ゴンザーガと結婚。
- イザベッラ (Isabella, 1591-1626), モデナ公アルフォンソ3世・デステと結婚。
- マリーア・アポッロニア尼 (Suor Maria Apollonia, 1594-1656)
- フランチェスカ・カテリーナ尼 (Suor Francesca Caterina, 1595-1640)
- トンマーゾ・フランチェスコ (Tommaso Francesco, 1596-1656)
- ジョヴァンナ (Giovanna, 1597)
- サヴォイア公
- 1580年-1630年
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- 先代:
- エマヌエーレ・フィリベルト
- 次代:
- ヴィットーリオ・アメデーオ1世
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