アントニオ1世 (ポルトガル王)
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アントニオ1世(António I, 1531年 - 1595年8月26日)はポルトガル王(在位:1580年 - 1583年)。ジョアン3世とエンリケ1世の弟ベージャ公ルイスの庶子。
1580年、民衆からポルトガル王に推薦されたが、スペイン王フェリペ2世の大軍とアルカンタラで会戦して敗退し、フランスへ亡命した。アゾレス諸島のテルセイラ島で再起をはかり、「フランスにブラジルを割譲する」という約束をしてフランスから援助を引き出した。
1582年、サンミゲル島沖の海戦で、サンタクルス侯爵指揮のスペイン海軍に敗退した。1589年、フランシス・ドレークの艦隊がガリシアからリスボンを攻撃したとき、この遠征に参加し、ポルトガル国民の蜂起を期待したが、応ずる者はなかった。