アドリアーノ・レイテ・リベイロ
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アドリアーノ・レイテ・リベイロ("Adriano" Leite Ribeiro, 1982年2月17日 - )は、ブラジル連邦共和国リオデジャネイロ州出身、セリエAのインテルに所属する、ブラジル代表のサッカー選手。ポジションはFW。
[編集] プレイスタイル
桁外れの身体能力を持ち、左足から放たれる爆発的なシュートと、時速130kmは出るというFKを武器とする。 すばらしい身体能力を持ちながらも、左足しか使えず、足元の技術や1対1のシュート、ポジショニング、DFとの駆け引きなどのストライカーに必要な技術は高くないためゴールアベレージは低い。そのため現セレソン監督のドゥンガからは「彼はワールドクラスではない」と判断から召集されていない。
少年時代はDFで主に左サイドバックだったという。
フラメンゴに在籍中の2001年に同年のワールドユースなどでの活躍がスカウトの目に留まり、セリエAのインテルへ入団。
最初のシーズン開幕後、すぐにレンタルされる予定だったが、プレシーズンマッチでレアル・マドリードと対戦した際に決めたFKを見た当時のエクトル・ラウル・クーペル監督が、しばらく手許に置いておきたいと申し出、レンタル移籍は半年見送られた。その時のFKはアドリアーノ本人もベストゴールの1つに挙げている。
その後、フィオレンティーナへレンタル移籍し、1年でインテルへ戻るが、今度はACパルマへ移籍する。
ACパルマでは、アドリアン・ムトゥ、中田英寿と共に前線を形成し、得点を量産。その活躍が認められ、再びインテルへ移籍し、獅子奮迅のパフォーマンスを見せてエースに成長。特に、父の死を乗り越えた後の活躍は素晴らしく、ゴール後に両手で天を指すようになった。2004年の南米選手権と2005年FIFAコンフェデレーションズカップでは共に得点王とMVPに選ばれるなどの大活躍でチームを優勝に導きブラジル代表におけるポジションを確固たるものとした。
2006FIFAワールドカップでは2得点を上げるものの不完全燃焼に終わり評価を下げた。2006-2007シーズンは長きにわたって無得点を続け、チームから休養を命じられた。他にも私生活のトラブルや怪我、監督との関係などといった問題から、優勝戦線の先頭を走るチームのお荷物扱いされ、トレードの噂が沸き起こっている。才能は誰しも認めるだけにメンタル面の安定と継続性が今後の課題。
ニックネームはインペラトーレ「皇帝」。
[編集] 所属チーム
- フラメンゴ(ブラジル) 1999-2001
- インテル(イタリア) 2001-2002
- フィオレンティーナ(イタリア) 2002
- ACパルマ(イタリア) 2002-2004
- インテル(イタリア) 2004-
インテル - 2006-2007 |
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1 トルド | 2 コルドバ | 4 サネッティ | 5 スタンコビッチ | 6 マクスウェル | 7 フィーゴ | 8 イブラヒモビッチ | 9 クルス | 10 アドリアーノ | 11 グロッソ | 12 ジュリオ・セザル | 13 マイコン | 14 ヴィエラ | 15 ダクール | 16 ブルディッソ | 17 ココ | 18 クレスポ | 19 カンビアッソ | 20 レコバ | 21 ソラーリ | 22 オルランドーニ | 23 マテラッツィ | 25 サムエル | 36 ファウタリオ | 50 マールフィ | 51 ボヌッチ | 52 ベレ | 57 フィルコル | 61 スラヴコフスキ | 77 アンドレオッリ | 79 カリーニ | 91 ゴンサレス | 99 フートス | 監督 マンチーニ | 編集 |
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