アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー
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アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー(Atal Behari Vajpayee अटल बिहारी वाजपेयी、1926年12月25日 -)は、インドの政治家、元首相。日本では主にバジパイ首相と表記されることが多い。ジャン・サング党(1951年)、ジャナタ党(1977年)、バーラティーヤ・ジャンター(インド人民)党(1980年)の創設者。1957年以来、議会に選出されている。
[編集] 経歴
1977年から1979年まで、ジャナタ党政権で外相を務めると同時に、印ソ政府間貿易経済・科学技術協力委員会の共同議長も務めた。
1993年7月から下院の野党指導者を務め、1996年には2週間首相を務めたが、政府が議会の信任を得られないことを理解して総辞職した。
1998年の選挙の結果、大統領は下院最大派閥の指導者としてヴァージペーイーに組閣を命じた。3月に内閣が発足したが、1999年4月、議会で与党が多数の議席を失ったため再選挙を公示し、その勝利を受けて首相に返り咲いた。
博学でリベラル派と目され、敵対派も含めて、社会・政界の中で大きな権威を有している。外交に深く通じ、かつては親ソ連方針を取った。国際舞台における独自方針の支持者であり、「核の選択権」の実現問題をめぐって確固たる立場をとっている。
[編集] パーソナル
マッディヤ・プラデーシュ州のグワーリヤル市出身。人文科学の学士号を有する。元の職業はジャーナリスト。
雄弁家にして、詩を趣味とし、自らも詩を書く。