UFO (バンド)
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UFO | |
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出身地 | イギリス、ロンドン |
活動期間 | 1969~1982、1992~ |
ジャンル | ハードロック ヘヴィメタル スペースロック |
レーベル | Beacon Records 日本クラウン |
UFOは1969年に結成されたイギリスのロックバンド。時系列的にはレッド・ツェッペリンを後継し、1980年代のハード・ロック・ヘビーメタル、例えばアイアン・メイデンのスティーヴ・ハリス、メタリカのカーク・ハメット、メガデスのデイヴ・ムステインなどのアーティストへ、そして後のNWOBHMへ多大な影響を与えた。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 始動期
1969年、ボーカリストのフィル・モグ、ギタリストのミック・ボルトン、ベーシストのピート・ウェイ、ドラマーのアンディ・パーカーをオリジナルメンバーとして結成された。バンド名は、当初Hocus Pocusとしていたが、ロンドンの有名クラブに出演する際UFOへと衣替えした。1970年に発表したバンド名そのままのデビューアルバム『UFO』と翌年発売の『Flying』は欧米ではいまひとつの売れ行きだったが、日本では大ヒットとなった。そのようなこともあって、1972年にはライブアルバム『UFO Lands in Tokyo--Live』を日本でのみリリースした。
初期のUFOは、二枚目のアルバムにOne Hour Space Rockというキャッチをつけたようにスペース・ロックの影響を色濃く受けていた。しかし、そこにこだわりすぎるのはかえって自分たちのスタイルを限定してしまうのではとも感じていた。1974年、公演中にミック・ボルトンが突然失踪し脱退。これを期にUFOはよりスタンダードなロック・スタイルを志向し、それに相応するギタリストを探し始めた。
[編集] 世界的な成功
Steve Took's Shagratのギタリストだったラリー・ウォリスやホワイトスネイクのバーニー・マースデンが一時的に参加した後、1974年のアルバム『現象』(Phenomenon)録音開始に当りバンドは前々から目をつけていたマイケル・シェンカーに白羽の矢を立て、ギター担当に迎えた。UFOのドイツ公演で前座を務めたこともあるスコーピオンズに、兄ルドルフ・シェンカーとともに在籍していたマイケルは当時若干17歳ながら既に高い評価を得たギタリストであった。彼の演奏により『現象』は、ファンから非常に高い支持を受ける「Rock Bottom」や後にライブ音源でシングルヒットとなった「Doctor Doctor」などマイケル・シェンカー代表作の幾つかとなる曲で顕著に見られるような、先鋭的ギターサウンドを取り込むことに成功した。
ほとんど間を置かず、バンドは『フォース・イット』(Force It、1975年)、『ノー・ヘヴィ・ペッティング』(No Heavy Petting、1976年)と立て続けにアルバムを発表しつつ、各国でライブツアーを行なった。これによりアメリカ合衆国の聴衆が触れる機会が増え、イギリス正統派バンドと認識されるようになった。1977年の『新たなる殺意』(Lights Out)ではサイド・ギターのポール・レイモンドが加入し、同時に『ノー・ヘヴィ・ペッティング』で試験的に導入していたキーボードも担当した。「Too Hot To Handle」「Lights Out」「Alone Again Or」や7分間の作品「Love To Love」といった曲を収録した『新たなる殺意』はUFOスタジオ録音アルバムの頂点のみならず、1970年代ロックの古典のひとつとも言える傑作となった。そしてバンドは確固たる地位と名声を確立し、マイケル・シェンカーは現代のギターの神とまで崇められた。
勢いに乗って、UFOは翌年に『宇宙征服』(Obsession)を発表。さすがに前作程の高評価というわけにはいかなかったが「Cherry」「Only You Can Rock Me」などの名曲を収録していた。1979年にはライブ・アルバム『UFOライブ』(Strangers In The Night)を発売、脂の乗り切ったバンド演奏とノリの良い聴衆の反応を収め、これもシン・リジィの『Live and Dangerous』やキッスの『Alive!』、ピーター・フランプトンの『Frampton Comes Alive』などと肩を並べる1970年代を代表するライブ・アルバムのひとつと評されている。
[編集] マイケル・シェンカーの離脱
成功を手中にしたUFOは、今後10年は安泰であろうと思われていた。しかし、堅物かつ酒豪で知られたリーダーのフィル・モグと、英会話に難を抱えていた若く完璧主義者のマイケル・シェンカーとの間には既に軋轢が生まれており、マイケルはしばしば失踪を繰り返していた。ついには、『UFOライブ』発売直後マイケルが脱退し、スコーピオンズに復帰してしまった。
[編集] 凋落そして解散
マイケル脱退後UFOは即座に後釜を探し、元Lone Starのポール・チャップマンを迎えた。そして、ビートルズのプロデュースで知られるジョージ・マーティンを起用して製作したアルバム『ヘヴィ・メタル・エクスペリエンス』(No Place to Run)を1980年に発表した。が、高いチャップマンの演奏技術を持ってしても、崇拝の対象にさえなっていたマイケルの穴を埋めることは出来ず、以前のような成功を収めることは出来なかった。その後ポール・レイモンドが去り、代替メンバーとして元ワイルド・ホースのギタリスト兼キーボードプレイヤーでありマイケル離脱後に作曲を担っていたニール・カーターが正式加入した。このメンバーで製作され翌年に発表された『ワイルド/ウィリング/インセント』(The Wild, The Willing And The Innocent)は、軽めのポップ調ロックを中心とした曲づくりがイギリスの流行の時流に乗ったこともあってそこそこ売れた。
1982年に発売した、「Back Into My Life」を収録した『メカニックス』(Mechanix)もそこそこ売れた。しかし数年後、結成時のメンバーであるピート・ウェイが自分のグループを立ち上げるために脱退。代わりにダムドやEddie and the Hot Rodsに参加していたポール・グレイが加入したが、よもや凋落傾向に歯止めは掛けられず、1983年の『メイキング・コンタクト』(Making Contact)はチャートを低迷するばかりだった。彼らは『ヘッドストーン・ザ・ベスト・オブ・UFO』(Headstone)発売を最後に解散した。
2年後の1985年、フィル・モグが主導して全く新しいメンバーによってUFOは再立ち上げされ、『Misdemeanor』が発表された。これは1988年のシングル「Ain't Misbehavin'」発売まで続いたが、新鮮な息吹を注いでバンドを再興しようとしたフィルの熱意も商業的には成功せず、結局のところ再解散の憂き目を見る結果となっただけだった。
[編集] 再結成へ
1992年、フィル・モグとピート・ウェイはUFOを再度立ち上げるべく活動を開始。弱小レーベルからではあるがアルバム『High Stakes and Dangerous Men』を発表した。これが切っ掛けなり完全復活への道が開けた。翌年、最盛期に近いメンバーであるフィル、ピート、マイケル・シェンカー、ポール・レイモンドそしてアンディ・パーカーが集い、1995年にはアルバム『ウォーク・オン・ウォーター』(Walk on Water)が発売された。このメンバーにドラムとしてAC/DCのサイモン・ライトがサポートとして参加しワールド・ツアーへ出発するに至っては、UFOは往年の輝きを取り戻すのではと期待された。しかし、例によってマイケルが他のメンバーと衝突し途中で脱退。公演こそサポートメンバーを加えて乗り切るが、またもバンドは空中分解した。
その後もフィル・モグとピート・ウェイはMogg/Wayの名で音楽活動を続け2枚のアルバムをリリースしていたが、2000年マイケル・シェンカーが二度目の復帰を決め三度UFO名義の活動を再開させる。2000年、新曲を収録した1枚とライブ録音を組み合わせたダブルCDアルバム『聖約』(Covenant)をリリース。マイケルの動向に関してはいろいろな噂が囁かれたが、2002年には『シャークス』(Sharks)を発売した。しかし、やはりマイケルはまたも離脱。代わりにヴィニー・ムーアが加入し、2004年にはジェイソン・ボーナムをゲストドラマーに迎えて『You Are Here』をリリースした。
[編集] 現在
UFOはまだロックに向ける情熱を枯らしてはおらず、レコーディングやツアーを積極的にこなしている。2005年11月にはアンディ・パーカーが復帰、スペインのグラナダで開催されたPiorno Rock Festivalで演奏を披露した。通算19枚目となる最新作『The Monkey Puzzle』を2006年9月25日にヨーロッパでリリース。翌日にはアメリカ合衆国でも発売[1]される。
[編集] メンバー
[編集] 現在のメンバー
- フィル・モグ - ボーカル
- アンディ・パーカー – ドラム
- ピート・ウェイ – ベース・ギター
- ヴィニー・ムーア – リード・ギター
- ポール・レイモンド – キーボード、リズム・ギター
[編集] 過去に在籍したメンバー
- マイケル・シェンカー – リード・ギター
- ポール・チャップマン – リード・ギター
- ミック・ボルトン- リード・ギター
- Atomik Tommy M - リード・ギター
- Laurence Archer - リード・ギター
- バーニー・マースデン- リード・ギター
- ラリー・ウォリス - リード・ギター
- Clive Edwards – ドラム
- Aynsley Dunbar - ドラム
- Robbie France - ドラム
- ジェイソン・ボーナム - ドラム
- Simon Wright - ドラムス
- Danny Peyronel – キーボード
- Neil Carter - キーボード&リズム・ギター
- ポール・グレイ– ベース・ギター
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- 1970年 Unidentified Flying Object
- 1972年 Flying
- 1974年 現象 - Phenomenon
- 1975年 フォース・イット - Force It 71位(US)
- 1976年 ノー・ヘヴィ・ペッティング - No Heavy Petting 167位(US)
- 1977年 新たなる殺意 - Lights Out 51位(UK), 23位(US)
- 1978年 宇宙征服 - Obsession 26位(UK), 41位(US)
- 1980年 ヘヴィ・メタル・エクスペリエンス - No Place to Run 11位(UK), 51位(US)
- 1981年 ワイルド/ウィリング/インセント - The Wild, The Willing And The Innocent 19位(UK), 77位(US)
- 1982年 メカニックス - Mechanix 8位(UK), 82位(US)
- 1983年 メイキング・コンタクト - Making Contact 32位(UK), 153位(US)
- 1985年 Misdemeanor 74位(UK), 106位(US)
- 1988年 Ain't Misbehavin'
- 1992年 High Stakes & Dangerous Men
- 1995年 ウォーク・オン・ウォーター - Walk On Water
- 2000年 聖約 - Covenant
- 2002年 シャークス - Sharks - 日本発売版ではライブ4曲のボーナストラック付き
- 2004年 You Are Here
- 2006年 The Monkey Puzzle
[編集] ライブ・アルバム
- 1972年 Live
- 1972年 UFO Lands in Tokyo--Live 日本でのみ発売
- 1974年 Live In Concert
- 1978年 Lights Out In Tokyo
- 1979年 UFOライブ - Strangers In The Night 42位(US), 8位(UK)
- 1992年 Live In Japan
- 1993年 T.N.T.
- 1994年 Live In Texas
- 1995年 Heaven's Gate
- 1997年 X-Factor: Out There & Back
- 1998年 On With The Acton
- 2005年 Showtime
[編集] ベスト・アルバム
- 1976年 Space Metal
- 1986年 Anthology
- 1988年 ヘッドストーン・ザ・ベスト・オブ・UFO - Headstone
- 1992年 エッセンシャル UFO - The Essential UFO
- 1999年 Best Of UFO: Gold Collection