マイケル・シェンカー
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マイケル・シェンカー(ミヒャエル・シェンカー、Michael Schenker、1955年1月10日 - )は、ドイツ出身のハードロック・ヘビーメタルのギタリスト。使用するギターの形がV字型になっている、フライングV・ギターもあわせて有名。
ドイツのバンド、スコーピオンズに結成時より参加。まもなく英国のバンドUFOに加入。数々の名演を残す。脱退後は自らのバンド、マイケル・シェンカー・グループを結成。ロック・ギターの名手として一時代を築いた。
「Michael Schenker」のドイツ語読みは「ミヒャエル・シェンカー」(なお、一部の方言を除き、Schenkerはシェンケルとは発音されない)。ドイツではミヒャエル・シェンカーと呼ばれる。
スコーピオンズのリーダー、ルドルフ・シェンカーはマイケルの実兄。
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[編集] 特徴
「メタル界で “神” と言ったら、このマイケル・シェンカーをおいて他にいないとすら言われている。彼の超人的ギター・プレイに触発され、いままでに何人のミュージシャンたちがフライングVを手にしたかは計り知れない。静と動、緩急自在の流れるようなメロディック・ソロ、確実に昇天へと導く炎のリフ……メタルファンなら、80年にリリースされたM.S.G.(マイケル・シェンカー・グループ)名義の記念すべき第一作目『神(帰ってきたフライング・アロウ)』は必ず聞くべしとまで言われている。スコーピオンズ~UFO時代も素晴らしいが、『神』を聴かずしては何も始まらないのだ。」…というのはシェンカー心酔者特有の言い回しで、これ自体はやや演劇的すぎるが、これほど人を感化させ、また心酔者に言わしめる「何か」を持っているのは事実だろう。
奏法そのものはペンタトニック主体の極めてオーソドックスなロック奏法(セオリー通りの奏法)の積み重ねで、アイディアや速弾きはあっても、革新的な奏法を開発したわけではない。しかしながら彼の使用するギターにはトレモロアームが付属しておらず、また当人もそれを設置することに能動的ではないが、ギターボディーを固定し、ネックを歪曲することでトレモロアームを使用するのと同様のサウンドエフェクトを発生させることがある。これはパフォーマンス的な意味合いもあるだろうが実際のサウンドが明確にその効果を表現していたことからもサウンドとしての必要性から行っていたと思われる。またそのような奏法のため、ネックを折ってしまうことも多く、ツアー時にはマイケルのリペアマンはギターの修理・調整、ストック本数には神経質になっていたようだ。
にも関わらず「マイケル・シェンカー特有」に聞こえるのは、情感あふれる音色とキャッチーなメロディ、そして聴く者をはっとさせるような速いパッセージが共存した、他に真似のできないエレクトリック・ギターの達人ぶりが唯一無二だからである。またロックの世界では音楽以外の部分の伝説も重要な一部であるが、マイケルの場合もこれらの伝説(しかも殆どは実話だといわれる。下記参照)には事欠かない。その苦境がまた音に反映されているように聴こえるのも、彼の人気を高めた重要な要素であろう。
[編集] 経歴と逸話
- 兄・ルドルフと結成したスコーピオンズではリード・ギターとしてデビューアルバムにも参加している。1972年、スコーピオンズがドイツ・ツアー中のUFOの前座を務めることになったが、UFOのギタリスト、ミック・ボルトンが突如失踪。困ったUFOは前座バンドからマイケルを借りることでなんとかステージを終える(当時のUFOはスタンダード・ナンバーの他は、即興演奏が殆どを占めるバンドであったために、こういったことも可能だったのだろう)。その後ギタリスト探しは難航し、マイケルを英国に呼ぶことになるが、英語ができない上に内気な性格だったマイケルは最後まで難渋したらしい。もちろんと言うべきか何というか、最後に決断させたのは兄・ルドルフの励ましだったという。当時、わずか17歳。
- なお、ミック・ボルトンの行方は杳として知れなかったが、随分経った後年になんとマイケル・シェンカー・グループのローディ(コンサートスタッフ)として活動しているのを伊藤政則氏が紹介され、大変驚いたという。
- そのスコーピオンズでマイケルが弾いているのはレスポール・モデルのギターであり、フライングVではない。ギブソン社の変形モデル再生産シリーズの第1号であるこのギターを購入したのはルドルフである。UFO加入時に兄と交換したと言われているが、その後兄もフライングVを再度購入し、幾多の名演を重ねてゆくのは周知の事実であろう。
- 日本人ファン誰もが真似をした、フライングVを白黒に塗り分けるのは主にUFO脱退後。それ以前は白一色。
- UFOでの名演・名曲の数々は言うまでもないが、英語が話せない上に、気むずかし屋で英国流の冗談・偏屈のきついリーダー、フィル・モグと理解し合うのは至難の業だった。そういった環境に加えてもともと内向的な性格だったこと、しかし演奏については極端な完璧主義者であることなどから、精神的に追いつめられることが多かったと言われる。またUFO全体がアルコールや麻薬の問題を抱えていたとも言われている。伝説によればバンドを飛び出して放浪すること数回(しかし無理矢理連れ戻される)、新興宗教にのめりこみ、美しい金髪を自ら切り刻み…となるが、本人によれば気晴らしに旅行をした程度で宗教には深く関わっていない(後にラエリアン・ムーブメントには傾倒するが)とのこと。但し金髪をずたずたに刈った後の異常な様子は現存するライブ映像でも確認することができ、何らかの錯乱があったのだろうと推測できる(その状態で演奏される"Let It Roll"でのギター・プレイは凄絶の一言に尽きる)。
- UFO脱退後、アルコール中毒の治療をうけ音楽シーンに復帰。そのころには多少英語もマシになり、MSGでの活動はUFOよりも順調に見えたが、今度は自らバンドを率いてゆくプレッシャーからトラブルを抱え込むことになる。特に活動絶頂期において、故コージー・パウエルが神経質にリハーサルを繰り返すマイケルに嫌気がさして脱退した事件は、多くのファンを嘆かせた。
- その後ロビン・マッコーリーと双頭体制を組み比較的安定したように見受けられたが、1990年代に入ると音楽シーンは伝統的ハードロックを受け付けないようになってしまい、本来不器用な彼にとっては活動しにくい時代になってしまう。以降はアコースティックへの傾倒や宗教的発言の数々など、独自の活動に入っているが、UFOやMSGの再結成で見せるエレクトリックのプレイの方を好むファンも多い。そのUFOの再結成(1995年)は、予想通り(?)フィル・モグとの仲違いで分裂した。
- 近年ではライブの途中でギターを放り投げて演奏を放棄してしまうことがしばしばある。このことに関してファンの間では「マイケル・シェンカーだからしょうがない」という同情的な見方と、「マイケルふざけんな!」という怒りの反応に2分されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- michaelschenkerhimself.com(公式サイト)