SIAM SHADE
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SIAM SHADE(シャムシェイド)は、日本のロックバンドである。
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[編集] メンバー
[編集] 来歴
- 1991年 3月、栄喜とNATINらが前身バンド「ataru」を結成。
- 1992年 12月、KAZUMAが加入。
- 1993年 バンド名をSIAM SHADEに改名。7月にDAITA加入。
- 1994年 5月に淳士加入。12月、1stアルバムがオリコンインディーズチャートで初登場2位を記録。
- 1995年 8月の渋谷公会堂のワンマンライブでの前半のコント内で高木ブーと共演。
- 1995年 10月、1stシングル『Rain』でメジャーデビュー。
- 1997年 6thシングルの『1/3の純情な感情』が「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」のエンディングテーマとなり大ブレイクを果たす。
- 2000年 8月29日にインディーズ時代からよく行っていた男子限定ライブ「男樹」を渋谷ON-AIR EAST(現在のShibuya O-East)にて行う。なお、前日にも大阪で同様のライブを行っている。
- 2001年 12月28日に念願であった日本武道館で初ライブ。
- 2002年 年頭に解散を発表。
- 2002年 3月10日、再び日本武道館のステージに立ちラストライブを行う。この日をもって解散。
[編集] 概要
- バンド名は「密接した陰」という意味の英語に由来する。
- リーダーはNATINである。
- メンバー全員がLUNA SEAをリスペクトしていたり、インディーズ時代に町田PLAY HAUSEを拠点としていた為LUNA SEAの弟分バンドでもある。
- 音楽性は基本的にはハードロックを基調としたキャッチーなメロディが特徴。しかし中にはファンクやアコースティックなバラード、果ては複雑なインストからハードコアのようなものまでと様々な曲があり、一概にはまとめられない。
- オリコンチャートでトップ10に入るようなアーティストにしては珍しく変拍子を多用していた。また楽器隊の演奏にもユニゾンなどの高度な技術が多分に使用されており、当時のバンドキッズにとっては挑戦しがいのある難関アーティストであった。
- メンバー全員が格闘技好き、さらには全員何かしらのスポーツを好んでいた事からライブでのMCやライブのノリはスポコン調であった。ファンもそれに感化され激しいヘドバン(ヘッドバンギング)を好んで行っていた。
- ボーカルの栄喜の先輩に吉田秀彦がおり、その縁もありバンドは何かと世話になっていた。殆どのアルバムの[special thanks]のところに彼の名前が載っている。ちなみに現在ソロ活動を行なっている未来(HIDEKI)は解散後、彼の紹介でJ-ROCKの社長を紹介してもらいACIDやソロ活動をしている。
- インディーズ時代に広島のライブハウスでライブをしたときに観客の重みで床が抜けたことがあり、後に弦楽隊3人が雑誌「バンドやろうぜ」で「バンドでのエピソードは?」と聞かれたときに3人そろってその事件を答えていた。結局そのときは棟梁が来るのを待ってライブを再開したようである。
- デビュー直前にドラマーの淳士が東名高速道路をバイクで走行中事故にあい、現場から100mも吹き飛ばされ、「駆けつけた救急車があきらめてサイレンを鳴らさなかった」(後に出版の自著より)ほどの瀕死の重傷を負う。メンバー全員がデビューをあきらめかける中、2週間後にはひょっこり退院し、復帰を果たして周囲を驚かせた、と言う逸話がある。しかし彼の潜在的な傷は大きかったらしく、先の自著の中でも「ライブ後に何を叩いたのかを全く思い出せなかった」り、「翌日の集合時間をマネージャーから言われたのに、きれいに忘れてしまい後で同じ事を再び聞いた」などと明かしているように、半年ほどは細かな支障をきたしていたようである。彼はその直前にNATINを彼の自宅まで送っていた。その後神奈川県の自宅に帰る途中事故にあったのでNATINはしばらく自分を責めていたようだが、実はその別れ際に「危ないから」といってNATINが貸してくれたフルフェイスのヘルメットがなければ自分は助かってなかった、と淳士自身が自著で語っている。
- 後の韓流ブームよりずっと前の2000年に、当時日本人の大規模公演が解禁されたばかりの韓国で行われた釜山ロックフェスティバルに日本のロックバンドとして初めて参加するなど韓国のメディアからも注目を集めた。
[編集] DISCOGRAPHY
[編集] インディーズ
[編集] デモテープ
- FORYOU
- DOLL
- END OF LOVE
- SIAM SHADE (1993年5月1日)
[編集] シングル
- DOLL (1993年12月19日)
[編集] アルバム
- SIAM SHADE (1994年12月10日)
[編集] メジャー
[編集] シングル
- RAIN (1995年10月21日)
- TIME'S (1996年2月1日)
- Why not? / I believe (1997年2月12日)
- RISK (1997年5月21日)
- PASSION (1997年7月30日)
- 1/3の純情な感情 (1997年11月27日)
- グレイシャルLOVE (1998年5月13日)
- Dreams (1998年8月5日)
- NEVER END (1998年10月28日)
- 曇りのち晴れ (1999年2月24日)
- BLACK (1999年9月15日)
- 1999 (1999年9月29日)
- せつなさよりも遠くへ (2000年4月19日)
- Life (2001年4月11日)
- アドレナリン / GET OUT (2001年9月27日)
- LOVE (2001年11月28日)
[編集] アルバム
- SIAM SHADE II (1995年11月11日、メジャー1st。1stにも関わらず「II」なのはインディーズ時代にすでに一枚アルバムを発表していたため)
- SIAM SHADE III (1996年10月2日、2nd)
- SIAM SHADE IV・Zero (1998年1月21日、3rd)
- SIAM SHADE 5 (1998年12月2日、4th)
- SIAM SHADE VI (2000年7月26日、5th)
- SIAM SHADE VII (2001年11月29日、Mini Album)
- SIAM SHADE VIII B-side Collection (2002年1月30日)
- SIAM SHADE IX A-side Collection (2002年3月6日)
- SIAM SHADE X The Perfect Collection (2002年11月27日)
(VIIIとIXはシングルのそれぞれカップリング曲とタイトル曲とを集めたベスト版であり、VII は英詞の曲のボーカルを差し替えたミニアルバムなのでオリジナルアルバムとしてはVIが最後になる。また、VII は収録曲にさらに3rd~5thまでのインストゥルメンタルの収録曲を加えた形で当時日本語詩の禁止されていた韓国でも発売された)
[編集] ビデオ
- SIAM SHADE (1997年3月1日)
- SIAM SHADE V2 Clips '95 - '97 (1998年3月1日)
- SIAM SHADE V3 (1999年3月20日)
- SIAM SHADE V4 Tour 1999 MONKEY SCIENCE FINAL YOYOGI (1999年8月30日)
- SIAM SHADE V5 (2000年9月6日)
- SIAM SHADE V6 LIVE 男樹 (2000年12月31日)
- SIAM SHADE V7 Live in 武道館 LEGENE of SANCTUARY (2002年3月27日)
- SIAM SHADE V8 START & STAND UP LIVE in 武道館 2002.03.10 (2002年5月29日)
- SIAM SHADE V9 The Perfect clip (2003年1月8日)
[編集] DVD
- SIAM SHADE V4 Tour 1999 MONKEY SCIENCE FINAL YOYOGI (1999年9月22日)
- SIAM SHADE V5 (2000年9月6日)
- SIAM SHADE (2000年12月6日)
- SIAM SHADE V2 clip '95 - '97 (2000年12月6日)
- SIAM SHADE V3 (2000年12月6日)
- SIAM SHADE V6 LIVE 男樹 (2000年12月31日)
- SIAM SHADE V7 Live in 武道館 LEGEND of SANCTUARY (2002年3月27日)
- SIAM SHADE V8 START & STAND UP Live in 武道館 2002.03.10 (2002年5月29日)
- SIAM SHADE V9 The Perfect Clips (2003年1月8日)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 公式サイト:SIAM SHADE INFORMATION(各メンバーのサイトへのリンク等がある)
- Sony Music Online Japan : SIAM SHADE