"黒天使"沼澤邪鬼
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”黒天使”沼澤邪鬼 | |
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プロフィール | |
リングネーム | ”黒天使”沼澤邪鬼 |
本名 | 沼澤直樹 (ぬまざわ なおき) |
ニックネーム | ヌマ 神様 キチOイ |
身長 | 173cm |
体重 | 93kg |
誕生日 | 1977年6月8日 |
出身地 | 埼玉県本庄市 |
所属 | 大日本プロレス |
デビュー | 2000年11月27日、静岡・キラメッセぬまづ、vs松崎駿馬戦 |
”黒天使”沼澤邪鬼(こくてんし ぬまさわじゃき、1977年6月8日 - )は、日本のプロレスラー。本名:沼澤直樹(ぬまざわ なおき)。大日本プロレス所属。埼玉県本庄市出身。通称「ヌマ」「神様」「キチ○イ」
目次 |
[編集] 経歴
元からデスマッチがやりたくて大日本プロレスに入団したというほどの大のデスマッチフリーク。
大日本のキチ○イ担当として、独特のデスマッチ感を持っており、今では伊東竜二と対を成す存在として名を馳せている。
入場時には客席に乱入し、有刺鉄線が巻かれたチェーンソーを振り回すので、観客は逃げる準備が必要である。
スキンヘッドだが、これは元々アブドーラ小林に寝込みを襲われ、髪を剃られてしまった事によってである。
2004年はBJW認定タッグ王座に輝くなどの実績を残して成長を伺わせた。2005年はデスマッチ7番勝負を行い、最終戦での関本大介戦で勝利をもぎ取った。
またこの7番勝負の第6戦で対戦相手を務めた葛西純の誘いに乗り、葛西とともにキチ○イタッグ「045邪猿気違's(ゼロヨンゴ ジャンキーズ)」を結成。葛西が活動休止に入った後は、MEN'Sテイオーとのタッグで活躍。
2006年はテイオーとのタッグを解消。葛西が復帰して、045邪猿気違'sが活動再開。同年5月5日、横浜・赤レンガ倉庫大会でのBJW認定デスマッチヘビー級王座挑戦者決定戦「みなとみらいデスマッチin赤レンガ」に勝利し、6月後楽園ホール大会にて佐々木貴のベルトに挑戦が決定。互いのデスマッチに対する考え方を知りたいと提案した、「デスマッチダブルプロデュース・蛍光灯&ケージ+αデスマッチ」で対戦。試合には敗れたものの、マイクアピールで、「ダイニッポン」コールと、編集泣かせの大「キチ○イ」コールを巻き起こした。
その後、伊東竜二の負傷欠場の為、空位となったデスマチヘビー級王座を巡り、佐々木貴との抗争を再開。12月3日・横浜文化体育館大会で、1000本オーバーの蛍光灯を神殿の柱のように並べた「狂神の蛍光灯神殿デスマッチ」で対戦するも敗戦。
この抗争の中で沼澤は、自らを「キチ○イの神様」と言い放ち、「その日来てくれた観客を幸せな世界に導くような試合」を、自らの課題として掲げている。
[編集] 得意技
- 飛鬼邪行(ひゃっきじゃこう・スワントーンボムと同型)
- 狂鬼乱舞(デスバレー)
- 狂鬼蘭舞(シュバイン)
- 神威(カムイ・変形首固め。2006年に葛西が復帰してからは、この技をフィニッシュホールドとするようになった)
[編集] デスマッチ7番勝負
凶器観客持ち込みデスマッチ vsアブドーラ小林
チェーンデスマッチ vsMEN'Sテイオー
- 第3戦・・・3月31日大阪・鶴見緑地公園
凶器持込デスマッチ vsシャドウWX
月光暗闇蛍光灯デスマッチ vsBADBOY非道
- 第5戦・・・5月8日お台場Q地区特設リング
蛍光灯墓場デスマッチ vsマッドマン・ポンド
「MASNESS OF MASSACRE~狂気の殺戮」 カミソリ十字架ボードデスマッチ vs葛西純
- 第7戦・・・8月14日埼玉・桂スタジオ
「7大地獄絵図」 vs関本大介
[編集] メディア上での「キチ○イ」の取扱い
- 「キチ○イ」は、本来は差別用語であり、放送禁止用語として扱われる。
- この為、中継番組「大日大戦」では、観客の「キチ○イ」コールで「ピー」音を連発されている。
- 登坂栄児「これが言いたけりゃ会場に来いと」
- 須山浩継「会場ではピー入れようがないんです!」
- 最近では、オリジナリティ尊重の為、「キチ○イ」コール時でも「ピー」音なしが多い。ただ、抗議はほとんど来ないらしい。
- 7月14日後楽園ホールメインにおける「夏だ!デスマッチだ!キチ○イ祭り」においては、リングアナの村上健は平気でアナウンスの際に「キチ○イ祭り」と言っていた(テレビ埼玉版ではもちろんピー音を入れられたが、サムライTVではピー音なし)が、「大日大戦」のナレーターは嫌がったのか「クレージーフェスティバル」と言い換えていた。
- また、雑誌でも「キチ○イ」などで表記される。