黎元龍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姓名 | 黎元龍(黎麟) |
廟号 | 太宗 |
諡号 | 繼天體道顯德功欽明文思英睿仁哲昭憲建中文皇帝 |
陵墓 | 祐陵 |
王朝 | 後黎朝 |
年号 | 紹平 1434年-1440年 大宝 1440年-1443年 |
生没年 | 1423年-1443年 |
在位 | 1434年-1443年 |
黎元龍(Lê Nguyên Long、1423年 - 1443年)は、またの名を黎麟といい、ベトナムの後黎朝(Nhà Hậu Lê)大越国の二代皇帝(在位 1434年 - 1443年)である。黎利の次男として生まれた。廟号は太宗といい、このため黎太宗(Lê Thái Tông)とも称される。
父の黎利が死去すると即位し、紹平と改元した。朝政は全て黎察の補弼により裁決されたが、黎察には見識がなく、不法行為が多く、忠臣を多く殺害した。太宗は成長すると、親政を開始した。しかし、輔政に人材をえないまま、まもなく酒色にふけるようになった。
1442年7月、太宗が至霊県で閲兵したとき、至霊県で隠居していた元大臣の阮薦から端女の阮氏路を召し上げて寵愛した。嘉定県にいたったところ、太宗は突然死去した。朝廷は阮氏路が皇帝を弑逆したものとして、阮薦を逮捕し、阮薦の一族を処刑した。
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | ベトナム史の人物 | 1423年生 | 1443年没