鵜殿村
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鵜殿村(うどのむら)は、三重県最南端にあった村。消滅するまで日本で一番面積の小さい村で、且つ、日本で一番人口密度の高い村でもあった。大字は無い(小字はあるが行政地名ではないので住所の表記では村名の次に地番がきた)。
熊野川の河口をはさんで和歌山県新宮市と相対する人口約5000の小さな村で、同市のベッドタウンであった。紀州製紙の工場が村域の一割ほどをも占める企業城下町であり、財政が安定しているためこれまで他の市町村と合併をしてこなかった。しかし、近年は製紙業収入も不安定になったことなどから、遂には2006年1月10日、紀宝町と合併し消滅した。
目次 |
[編集] 地理
三重県最南端、熊野川の河口に位置する。村の面積は小さく河口近くのわずかな部分を占めるのみである。
[編集] 歴史
- 1894年2月13日 - 南牟婁郡宇和野村から分割され、鵜殿村が成立。
- 2006年1月10日 - 紀宝町と合併する。
[編集] 産業
この村は紀州製紙の製紙工場により栄えている。製紙工場に隣り合って鵜殿港がある。
[編集] 地域
[編集] 隣接している自治体
[編集] 教育
- 鵜殿村立鵜殿小学校
- 紀宝町・鵜殿村組合立矢渕中学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道
村を東海旅客鉄道(JR東海)の紀勢本線が走り、鵜殿駅が置かれている。鵜殿駅から紀州製紙工場まで貨物線が延びている。